お喋り日本語&闲聊日语
(156)
❤芥川龍之介の<芋粥>❤
主人公の五位は天皇のそばで働く役人です。かなりのもんですね。でも、主人公はちっとも偉く見えないし、生活も貧しいそうた。
五位は40を越えたおっさんであり、身なりもみすぼらしく、そのうえ同僚たちに毎日馬鹿にされてます。そんな五位にも、唯一の楽しみがあります。それは、ただ年に一度、お正月に宮中での宴会で食べることができる芋粥です。まあ、当時はかなり珍しいものかもね。天皇の食卓にも並ぶほどの食事ですから。これを飽きるまで食べるのが、「彼の一生を貫いている欲望」だったのです。彼はそれを心の支えに生きているのでした。
そんな彼に、宴会で同席していた有名な武将が、夢を叶えてやろうともちかけます。その武将の誘いにより、主人公は京都から二日がかりで馬を走らせて、ようやく屋敷に着いてます。そして、いよいよ朝食の時、食卓に上がったのは実に大きい鍋になみなみと注がれた芋粥でした。器にすくった芋粥を半分ほど飲んだ所で、五位はこれ以上芋粥は入らなくなります。そして五位は「今まで何年となく辛抱して待っていたのが、無駄になってしまうのでは」などと思い始めます。かつて芋粥にあこがれていた自分を懐かしく思うのです。変なおっさんだ。
初めは、ちょっと不思議でした。やっと夢が叶って喜ぶはずなのに、彼は逆に悲しくなったから。でも、今は少し理解できた気がします。彼にとって、芋粥は人生の目標でした。目標達成によって、心の支えがなくなったからです。人間の中にある矛盾した二つの感情でしょう。
このような感情は、多くの人が持っていると思います。週末やお正月もそうだし、あるいは恋などでもそうです。週末や、お正月は準備をしている時や、大晦日や花金が一番楽しかったりしますね。恋も、片思いをしている時が一番楽しく、相手も美しく見えるものです。
ある意味で現実逃避に近いです。叶わないとわかっているからこそ、それに憧れて安心しているのです。しかし、仮にまともな人間が芋粥に憧れ、五位と同じように願望が叶ったとしましょう。すると今度は、新たな願望、できるならさらに上の願望を抱くはずですね。
五位是天皇的侍从。是一个不得了的人物呢。但是,书中的五位看起来一点也不了不起,也很贫穷。
这个五位虽是天皇的侍从,但是长相寒碜,也经常被同僚欺负的,且已经过了四十岁的小老头。但是他有一个唯一的爱好就是,每天一直在在等待一年一次的,只有正月才能吃的芋艿粥。在当时,估计这是一个稀罕物。因为竟然还能上天皇的饭桌。对五位来讲,能够尽情吃一顿芋艿粥,是他人生的目标,也是支撑他生活的的心灵支柱。
有一天,在宴会上一位武将听说了,表示要帮他实现这个愿望。于是,五位跟着这位大将,骑了两天的马,终于到了武将的家。第二天早上,用一只大锅,盛上满满一大碗芋艿粥。可是,五位只吃了一半,就吃不下了。心想“我一生的忍耐就这样成了无用之物了。”竟然开始怀念起原来有念想有期盼的日子了。
开始我还不能理解他,现在有些理解了。对他来说,芋艿粥是他的精神支柱,实现了愿望,就等于没有了目标,没有了精神支柱。也是人类的一种矛盾的心理。
这种心里不仅是五位才有,我们很多人也会有这种心态。比如,不仅周末呀过年如此,就是恋爱也会有这种心理活动。比起周六周日,最开心的还是周五,比起大年初一,还是最喜欢大年三十。恋爱也是如此,单相思的恋爱是最可爱的。在某种程度上,这是一种逃避现实的行为。也就是说,正因为知道是不能实现的目标,才又可以憧憬它,向往它并使得自己安心。这是五位之流,但假如是另一个正常的人,也像五位一样人生的目标是吃芋艿粥,并实现了,那会怎样?一定在会找一个比芋艿粥更高的更大的更新的愿望的。让自己永远有一个精神支柱和新的目标。
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❤芥川龍之介の<芋粥>❤
主人公の五位は天皇のそばで働く役人です。かなりのもんですね。でも、主人公はちっとも偉く見えないし、生活も貧しいそうた。
五位は40を越えたおっさんであり、身なりもみすぼらしく、そのうえ同僚たちに毎日馬鹿にされてます。そんな五位にも、唯一の楽しみがあります。それは、ただ年に一度、お正月に宮中での宴会で食べることができる芋粥です。まあ、当時はかなり珍しいものかもね。天皇の食卓にも並ぶほどの食事ですから。これを飽きるまで食べるのが、「彼の一生を貫いている欲望」だったのです。彼はそれを心の支えに生きているのでした。
そんな彼に、宴会で同席していた有名な武将が、夢を叶えてやろうともちかけます。その武将の誘いにより、主人公は京都から二日がかりで馬を走らせて、ようやく屋敷に着いてます。そして、いよいよ朝食の時、食卓に上がったのは実に大きい鍋になみなみと注がれた芋粥でした。器にすくった芋粥を半分ほど飲んだ所で、五位はこれ以上芋粥は入らなくなります。そして五位は「今まで何年となく辛抱して待っていたのが、無駄になってしまうのでは」などと思い始めます。かつて芋粥にあこがれていた自分を懐かしく思うのです。変なおっさんだ。
初めは、ちょっと不思議でした。やっと夢が叶って喜ぶはずなのに、彼は逆に悲しくなったから。でも、今は少し理解できた気がします。彼にとって、芋粥は人生の目標でした。目標達成によって、心の支えがなくなったからです。人間の中にある矛盾した二つの感情でしょう。
このような感情は、多くの人が持っていると思います。週末やお正月もそうだし、あるいは恋などでもそうです。週末や、お正月は準備をしている時や、大晦日や花金が一番楽しかったりしますね。恋も、片思いをしている時が一番楽しく、相手も美しく見えるものです。
ある意味で現実逃避に近いです。叶わないとわかっているからこそ、それに憧れて安心しているのです。しかし、仮にまともな人間が芋粥に憧れ、五位と同じように願望が叶ったとしましょう。すると今度は、新たな願望、できるならさらに上の願望を抱くはずですね。
五位是天皇的侍从。是一个不得了的人物呢。但是,书中的五位看起来一点也不了不起,也很贫穷。
这个五位虽是天皇的侍从,但是长相寒碜,也经常被同僚欺负的,且已经过了四十岁的小老头。但是他有一个唯一的爱好就是,每天一直在在等待一年一次的,只有正月才能吃的芋艿粥。在当时,估计这是一个稀罕物。因为竟然还能上天皇的饭桌。对五位来讲,能够尽情吃一顿芋艿粥,是他人生的目标,也是支撑他生活的的心灵支柱。
有一天,在宴会上一位武将听说了,表示要帮他实现这个愿望。于是,五位跟着这位大将,骑了两天的马,终于到了武将的家。第二天早上,用一只大锅,盛上满满一大碗芋艿粥。可是,五位只吃了一半,就吃不下了。心想“我一生的忍耐就这样成了无用之物了。”竟然开始怀念起原来有念想有期盼的日子了。
开始我还不能理解他,现在有些理解了。对他来说,芋艿粥是他的精神支柱,实现了愿望,就等于没有了目标,没有了精神支柱。也是人类的一种矛盾的心理。
这种心里不仅是五位才有,我们很多人也会有这种心态。比如,不仅周末呀过年如此,就是恋爱也会有这种心理活动。比起周六周日,最开心的还是周五,比起大年初一,还是最喜欢大年三十。恋爱也是如此,单相思的恋爱是最可爱的。在某种程度上,这是一种逃避现实的行为。也就是说,正因为知道是不能实现的目标,才又可以憧憬它,向往它并使得自己安心。这是五位之流,但假如是另一个正常的人,也像五位一样人生的目标是吃芋艿粥,并实现了,那会怎样?一定在会找一个比芋艿粥更高的更大的更新的愿望的。让自己永远有一个精神支柱和新的目标。
言葉の色分け言葉の色分けの使い方
東京大学とうきょうだいがくの分子細胞生物学ぶんしさいぼうせいぶつがく研究所けんきゅうじょの渡邊わたなべ嘉典よしのり教授きょうじゅたちが科学かがくの雑誌ざっしに出だした論文ろんぶんで、うそのデータなどを使つかっていたと大学だいがくが発表はっぴょうしました。
東京大学とうきょうだいがくによると、渡邊わたなべ教授きょうじゅたちは本当ほんとうは実験じっけんをしていないのにうそのデータを使つかってグラフを作つくったり、写真しゃしんの色いろや明あかるさを変かえたりしていました。大学だいがくは、渡邊わたなべ教授きょうじゅたちが2008年ねん〜2015年ねんにアメリカやイギリスの雑誌ざっしに出だした5つの論文ろんぶんの中なかに、正ただしくないグラフや写真しゃしんが16あったと言いっています。
この5つの論文ろんぶんの研究けんきゅうのために、国くになどは14億おく8000万まん円えん以上いじょう出だしています。
渡邊わたなべ教授きょうじゅは「論文ろんぶんに書かいた意見いけんは間違まちがっていないと考かんがえています。しかし、正ただしくないグラフなどを使つかったことは申もうし訳わけないと思おもっています」と言いっています。そして、5つの論文ろんぶんを正ただしく直なおしたり、取とり消けしたりすることにしています。
#八月你好# https://t.cn/R2d2Efr
東京大学とうきょうだいがくの分子細胞生物学ぶんしさいぼうせいぶつがく研究所けんきゅうじょの渡邊わたなべ嘉典よしのり教授きょうじゅたちが科学かがくの雑誌ざっしに出だした論文ろんぶんで、うそのデータなどを使つかっていたと大学だいがくが発表はっぴょうしました。
東京大学とうきょうだいがくによると、渡邊わたなべ教授きょうじゅたちは本当ほんとうは実験じっけんをしていないのにうそのデータを使つかってグラフを作つくったり、写真しゃしんの色いろや明あかるさを変かえたりしていました。大学だいがくは、渡邊わたなべ教授きょうじゅたちが2008年ねん〜2015年ねんにアメリカやイギリスの雑誌ざっしに出だした5つの論文ろんぶんの中なかに、正ただしくないグラフや写真しゃしんが16あったと言いっています。
この5つの論文ろんぶんの研究けんきゅうのために、国くになどは14億おく8000万まん円えん以上いじょう出だしています。
渡邊わたなべ教授きょうじゅは「論文ろんぶんに書かいた意見いけんは間違まちがっていないと考かんがえています。しかし、正ただしくないグラフなどを使つかったことは申もうし訳わけないと思おもっています」と言いっています。そして、5つの論文ろんぶんを正ただしく直なおしたり、取とり消けしたりすることにしています。
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父親は、若い頃は皮肉屋だったが、晩年みるみる好々爺になり、ぼくの顔を見ると、福山のために活躍してくれてありがとうありがとう、しか言わなくなった。すごいと思うのは、朝ご飯は自分で焚いて、好きなつくだ煮などで食べていたが、棺に入って帰宅したら、そのご飯がお供えになった。全部自分でやって死んでいったね。
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