#杨洋[超话]#
(蹄子老师那回复字数不够,单开了[允悲])
【还心】
“…心似菩提,不嗔,不念,不痴,无明妄,无明想…”
“喂,闭上眼念几句就真看不见我了吗?别自欺欺人行吗?”
“…舍利子,是诸法空相,不生不灭,不垢不净…”
“喂~我好忙哒,马上就得走呀,你再跟我说句话行吗?”
“…南无常住十方佛,南无常住十方法,南无常住十方僧…”
“喂…我真走啦,你…”你别后悔。
“你…”你可能再也见不到我了。
“你…唉!你还是可着一篇念吧,这乱七八糟的听得人更难过。我…”但愿能回来吧,你要好好的。
关门声后,门里门外皆刹那悄无声息。
一年后。
“这是?”
“那个疯子说,如果他死了,就把他的骨灰连同九颗红豆一起埋进不生土里,如果这样都能发芽生根开花结果,那就是他情感天地,就都装进这个莲花瓮里送来给你。我尽力了,本来发了三株,不过最后只这一株活到了结果,还只结了这么几个,你…”
“你说…他、他怎么了?”
“跟枭山那个吃你师父的老妖怪同归于——哎?他去枭山前不是来找过你?我还以为是你求他去报仇的,结果你居然不知道?”
“什么?!”
“呃…这破玩意儿你养不养呢?不养我还得帮他种到他那破屋前面自生自灭去。说好的,我帮他做完这些,他的还心就认主归我…喂喂喂你别哭我最见不得人哭了那什么我知道还心是他为了你才取名并重新炼制的可你一个小和尚也用不——”
“那把剑被命名了?”
“我去你又不知道?坑爹呢??喂喂喂你个冰雕雪塑的人一哭再哭很惊悚啊!!!靠靠靠我错了行不行?我不要了好不好?你别哭别哭别哭啊~”
“他——”
“别别别你别问!你跟他的事我可不敢乱说,说了他做鬼都不会放过我!他受了什么伤走时什么样最后还说了什么…这些我又都不能说——你知道的,我们戮者的毒誓灵验无比…不过他倒是有句话让我带给你…”
“什么话?”
“他说,千万别给他念往生咒,他永远不想再看见你不吃不喝哭着念往生咒的样子了,你别让他下十八层地狱还不得安生。”
“他怎么会下——你们戮者不是都不信十八层地狱的么!”
“啧…那个疯子你还不知道吗?近朱十成绿近墨反去黑,唯独近你就个性修行全喂了狗,满脑子都是前世来生…你们和尚度化为本,可我们戮者是杀灭为根呐,修这个若是软了心,遇上妖魔鬼怪就容易落了下乘。所以前辈们常说,心不硬,杀不增修反增险,还不如弃道封剑。你看还心自从有了名字,不就一直被扔在你这儿勾搭你们这儿的蜘蛛?他那是早就打算以后也要一起赖在这儿好勾——咳咳咳咳呸呸呸我什么都没说!那什么,东西我送到了剑我不要了所以不打扰了我走好不用送!”
“等等!剑——还心呢?”
“你…它一直都跟着你护着你呢,你、你看不到?连感觉都…啊啊啊真要被你们搞疯掉!呐,这是能让还心认主的令玉,给它一滴血…然后放到剑格的凹槽上…好了!能看见了吧,其实你说一句它就会听毕竟它会护你得先认你——咳咳咳我走啦!不谢别送最好后会无期!”
三十三年后。
“戮施主不好了!我师父被附身了!”
“怎么回事?”
“他把他房里那把剑上从来不让我们碰的蜘蛛都捉了,方才又让我把他那宝贝似的莲花瓮给搬到后山的那处废墟里,然后他居然给砸了,还把瓮里的枯树给砍了当柴烧,又把那些捉起来的蜘蛛都扔火里给烧死了,现在又让我来问你要酒肉,他自己居然在给蜘蛛念往生咒!之前我就从来没听他念过…”
“…唉,我给他送去。你去跟你们方丈说,你师父的后事不劳他费心了,有我。”
“后事?!怎——”
“别废话!他八成没多少时间了,你要还想见他最后一面,就快去快回!”
“给。”
“多谢。”
“你…唉,他一定不愿看到你这样。”
“呵。咳咳…不好喝…呸,也不好吃…”
“你这种胎里素怎么可能适应得了…哎,别扔呀多浪费…”
“我就是故意哭给他看想要他去送死的,然后就能跟你共度余生了,可笑他就真去了。”
“咳咳咳…你难道不是要死了而是真被附身了?”
“说谎、离间、诽谤、辱人、挖坟、纵火、杀生、浪费粮食…算上…就差不多够了吧。”
“你…你这是想下十八层地狱?你疯了?!”
“我从没拔出过还心。从前是听说未命名的戮者之剑出鞘必饮血,所以不敢;后来是知道命了名后剑身上必有解意铭文,所以不敢。”
“那你现在打算看了?”
“呵,方才看了。总算晓得我每次闭眼念经不理他时他都不生气还隐隐高兴所谓何来了。”
“为何?”
“‘睁眼还世,还世见苦;闭眼还心,还心见…’”
“见什么?”
“帮个忙。”
“你说。”
“麻烦你再种一次红豆,同他一样。若成了,就栽这里,若不成…不论成不成,还心从此归你。”
“不要不要!拿着烫手!”
“那帮不帮?”
“…帮。你别!本就寿数将尽,何苦自——”
“谢谢,那些都做了,不差这一条。好了,这次换我说了…我走了。”
很多年后。
“哇!好大一株相思树!”
“你们快来看,这树中间居然生着一把剑,上面还有铭文!”
“真的?写的什么?”
“看不清啊,字都快没了…”
睁眼还世,还世见苦;闭眼还心,还心见卿。
(蹄子老师那回复字数不够,单开了[允悲])
【还心】
“…心似菩提,不嗔,不念,不痴,无明妄,无明想…”
“喂,闭上眼念几句就真看不见我了吗?别自欺欺人行吗?”
“…舍利子,是诸法空相,不生不灭,不垢不净…”
“喂~我好忙哒,马上就得走呀,你再跟我说句话行吗?”
“…南无常住十方佛,南无常住十方法,南无常住十方僧…”
“喂…我真走啦,你…”你别后悔。
“你…”你可能再也见不到我了。
“你…唉!你还是可着一篇念吧,这乱七八糟的听得人更难过。我…”但愿能回来吧,你要好好的。
关门声后,门里门外皆刹那悄无声息。
一年后。
“这是?”
“那个疯子说,如果他死了,就把他的骨灰连同九颗红豆一起埋进不生土里,如果这样都能发芽生根开花结果,那就是他情感天地,就都装进这个莲花瓮里送来给你。我尽力了,本来发了三株,不过最后只这一株活到了结果,还只结了这么几个,你…”
“你说…他、他怎么了?”
“跟枭山那个吃你师父的老妖怪同归于——哎?他去枭山前不是来找过你?我还以为是你求他去报仇的,结果你居然不知道?”
“什么?!”
“呃…这破玩意儿你养不养呢?不养我还得帮他种到他那破屋前面自生自灭去。说好的,我帮他做完这些,他的还心就认主归我…喂喂喂你别哭我最见不得人哭了那什么我知道还心是他为了你才取名并重新炼制的可你一个小和尚也用不——”
“那把剑被命名了?”
“我去你又不知道?坑爹呢??喂喂喂你个冰雕雪塑的人一哭再哭很惊悚啊!!!靠靠靠我错了行不行?我不要了好不好?你别哭别哭别哭啊~”
“他——”
“别别别你别问!你跟他的事我可不敢乱说,说了他做鬼都不会放过我!他受了什么伤走时什么样最后还说了什么…这些我又都不能说——你知道的,我们戮者的毒誓灵验无比…不过他倒是有句话让我带给你…”
“什么话?”
“他说,千万别给他念往生咒,他永远不想再看见你不吃不喝哭着念往生咒的样子了,你别让他下十八层地狱还不得安生。”
“他怎么会下——你们戮者不是都不信十八层地狱的么!”
“啧…那个疯子你还不知道吗?近朱十成绿近墨反去黑,唯独近你就个性修行全喂了狗,满脑子都是前世来生…你们和尚度化为本,可我们戮者是杀灭为根呐,修这个若是软了心,遇上妖魔鬼怪就容易落了下乘。所以前辈们常说,心不硬,杀不增修反增险,还不如弃道封剑。你看还心自从有了名字,不就一直被扔在你这儿勾搭你们这儿的蜘蛛?他那是早就打算以后也要一起赖在这儿好勾——咳咳咳咳呸呸呸我什么都没说!那什么,东西我送到了剑我不要了所以不打扰了我走好不用送!”
“等等!剑——还心呢?”
“你…它一直都跟着你护着你呢,你、你看不到?连感觉都…啊啊啊真要被你们搞疯掉!呐,这是能让还心认主的令玉,给它一滴血…然后放到剑格的凹槽上…好了!能看见了吧,其实你说一句它就会听毕竟它会护你得先认你——咳咳咳我走啦!不谢别送最好后会无期!”
三十三年后。
“戮施主不好了!我师父被附身了!”
“怎么回事?”
“他把他房里那把剑上从来不让我们碰的蜘蛛都捉了,方才又让我把他那宝贝似的莲花瓮给搬到后山的那处废墟里,然后他居然给砸了,还把瓮里的枯树给砍了当柴烧,又把那些捉起来的蜘蛛都扔火里给烧死了,现在又让我来问你要酒肉,他自己居然在给蜘蛛念往生咒!之前我就从来没听他念过…”
“…唉,我给他送去。你去跟你们方丈说,你师父的后事不劳他费心了,有我。”
“后事?!怎——”
“别废话!他八成没多少时间了,你要还想见他最后一面,就快去快回!”
“给。”
“多谢。”
“你…唉,他一定不愿看到你这样。”
“呵。咳咳…不好喝…呸,也不好吃…”
“你这种胎里素怎么可能适应得了…哎,别扔呀多浪费…”
“我就是故意哭给他看想要他去送死的,然后就能跟你共度余生了,可笑他就真去了。”
“咳咳咳…你难道不是要死了而是真被附身了?”
“说谎、离间、诽谤、辱人、挖坟、纵火、杀生、浪费粮食…算上…就差不多够了吧。”
“你…你这是想下十八层地狱?你疯了?!”
“我从没拔出过还心。从前是听说未命名的戮者之剑出鞘必饮血,所以不敢;后来是知道命了名后剑身上必有解意铭文,所以不敢。”
“那你现在打算看了?”
“呵,方才看了。总算晓得我每次闭眼念经不理他时他都不生气还隐隐高兴所谓何来了。”
“为何?”
“‘睁眼还世,还世见苦;闭眼还心,还心见…’”
“见什么?”
“帮个忙。”
“你说。”
“麻烦你再种一次红豆,同他一样。若成了,就栽这里,若不成…不论成不成,还心从此归你。”
“不要不要!拿着烫手!”
“那帮不帮?”
“…帮。你别!本就寿数将尽,何苦自——”
“谢谢,那些都做了,不差这一条。好了,这次换我说了…我走了。”
很多年后。
“哇!好大一株相思树!”
“你们快来看,这树中间居然生着一把剑,上面还有铭文!”
“真的?写的什么?”
“看不清啊,字都快没了…”
睁眼还世,还世见苦;闭眼还心,还心见卿。
以下、ジャニーズ事務所による発表全文。
*
平素は格別のご高配を賜り厚く御礼申し上げます。
弊社代表取締役社長ジャニー喜多川につきましてご報告がございます。
2019年7月9日午後4時47分、都内病院におきまして、ジャニー専多川は、永眠いたしました。
享年87歳、死因は、解離性脳動脈瘤破裂によるくも膜下出血でございます。
ジャニーは、自身が育てたタレント達を応援してくださるファンの皆様やご支援くださる関係者の皆様に支えていただくことにより、自身の創作活動が成立し、日々、タレントの育成に励むことができていることに、日頃より大変感謝いたしておりました。ジャニーに代わりまして、心より御礼申し上げます。
2019年6月18日午前11時30分頃、自宅におきまして体調の異変を訴え、病院に向かおうとしたところ意識を失い、救急搬送されました。搬送後、集中治療室におきまして懸命な救命措置を行っていただいたことにより、一般病棟に移ることができましたため、病院のご協力もあり、ジャニーは、自身にとって子供のような存在でございますタレントやJr.との面会を果たすことができました。ジャニーがタレント達と過ごした病院での日々は、かけがえのない時問となりました。新旧、様々な楽曲の流れる病室におきまして、年長のタレントからJr.までが同じ空問でジャニーとの思い出を語り合う、微笑ましく、和やかな時間が流れていきました。片時もジャニーが寂しい思いをしないよう、仕事の合間を縫ってタレント達は入れ替わり立ち替わり病室を訪れました。ジャニーの好物を皆で賑やかに食べることが日課となり、その光景と匂いからまるで稽古場にいるかのような感覚を覚え、皆、懐かしい記憶がよみがえりました。ときに危険な状態に陥ることもございましたが、タレント達が呼びかけ、体を摩るたびに危機を脱することができました。タレント達と過ごすことでジャニーの容体が一時的に回復するという奇跡的な出来事を繰り返し日の当たりにし、改めまして、ジャニーのタレントに対する育ての親としての深い愛情と子供達との絆の強さを感じました。そして、最愛の子供達の愛に包まれながら、2019年7月9日午後4時47分、ジャニー喜多川は、人生の幕を下ろしました。
ジャニーは病に倒れる直前まで、劇場やスタジオに赴く日々を過ごしておりました。特に公演を目前に控えたJr.達に、連日、熱心に指導する姿はジャニーのプロデューサー人生そのものであり、まさに生涯プロデューサーとしての人生を全ういたしました。
1962年ジャニーズ事務所の創業以来、ジャニーは一途にエンターテイメントの創出に励んでまいりました。ジャニーのエンターテイメントに欠かすことができないのはタレントです。これまで多くのタレント達を生み育ててまいりましたが、一貫しておりましたことは、タレントとしてだけでなく、一人の人間として成長することを強く願っておりました。現在では、多くの皆様に支えていただくことで創業当時では考えられない程多くのタレントが、様々な分野で活躍させていただいていることにいつも感謝いたしておりました。
ジャニーが私達に最後まで言い続けていたことは、自身の意思を受け継いでくれるタレントを絶え間なく育成し、そのタレントと社員が、エンターテイメントを通じて世界中の皆様に幸せをお届けすることこそが、ジャニーズグループとして決して変わることのない思いであるということです。そして、世の中がいつまでもエンターテイメントを楽しむことができる平和で希望に満ちた未来であり続けることを心から願っておりました。これからタレントと社員がその意思を受け継ぎ、一人一人が役割を果たすことで世界中にジャニーの願いが届きますよう、タレントとスタッフ一丸となり、精進してまいりますので、何卒ご指導賜れますと幸甚に存じます。
改めまして、ファンの皆様、そして関係者の皆様には心より感謝申し上げます。
そして、この入院期間中におきまして、ご尽力くださいました病院関係者の皆様はじめ、ご支援くださいましたすべての方々に心より御礼申し上げます。
通夜・告別式につきましては、ジャニーの子供でございますタレント達とJr.のみで執り行う家族葬とさせていただきますので、何卒ご理解賜りたく存じます。
なお、これまでお世話になりました皆機にはお別れいただく機会をご用意する予定にしておりますので、決定次第、ご案内申し上げます。
大変恐縮ではございますが、個別のお問い合わせ、取材につきましては差し控えてくださいますよう、何卒ご理解とご協力の程、よろしくお願い申し上げます。
2019年7月9日
株式会社ジャニーズ事務所
*
平素は格別のご高配を賜り厚く御礼申し上げます。
弊社代表取締役社長ジャニー喜多川につきましてご報告がございます。
2019年7月9日午後4時47分、都内病院におきまして、ジャニー専多川は、永眠いたしました。
享年87歳、死因は、解離性脳動脈瘤破裂によるくも膜下出血でございます。
ジャニーは、自身が育てたタレント達を応援してくださるファンの皆様やご支援くださる関係者の皆様に支えていただくことにより、自身の創作活動が成立し、日々、タレントの育成に励むことができていることに、日頃より大変感謝いたしておりました。ジャニーに代わりまして、心より御礼申し上げます。
2019年6月18日午前11時30分頃、自宅におきまして体調の異変を訴え、病院に向かおうとしたところ意識を失い、救急搬送されました。搬送後、集中治療室におきまして懸命な救命措置を行っていただいたことにより、一般病棟に移ることができましたため、病院のご協力もあり、ジャニーは、自身にとって子供のような存在でございますタレントやJr.との面会を果たすことができました。ジャニーがタレント達と過ごした病院での日々は、かけがえのない時問となりました。新旧、様々な楽曲の流れる病室におきまして、年長のタレントからJr.までが同じ空問でジャニーとの思い出を語り合う、微笑ましく、和やかな時間が流れていきました。片時もジャニーが寂しい思いをしないよう、仕事の合間を縫ってタレント達は入れ替わり立ち替わり病室を訪れました。ジャニーの好物を皆で賑やかに食べることが日課となり、その光景と匂いからまるで稽古場にいるかのような感覚を覚え、皆、懐かしい記憶がよみがえりました。ときに危険な状態に陥ることもございましたが、タレント達が呼びかけ、体を摩るたびに危機を脱することができました。タレント達と過ごすことでジャニーの容体が一時的に回復するという奇跡的な出来事を繰り返し日の当たりにし、改めまして、ジャニーのタレントに対する育ての親としての深い愛情と子供達との絆の強さを感じました。そして、最愛の子供達の愛に包まれながら、2019年7月9日午後4時47分、ジャニー喜多川は、人生の幕を下ろしました。
ジャニーは病に倒れる直前まで、劇場やスタジオに赴く日々を過ごしておりました。特に公演を目前に控えたJr.達に、連日、熱心に指導する姿はジャニーのプロデューサー人生そのものであり、まさに生涯プロデューサーとしての人生を全ういたしました。
1962年ジャニーズ事務所の創業以来、ジャニーは一途にエンターテイメントの創出に励んでまいりました。ジャニーのエンターテイメントに欠かすことができないのはタレントです。これまで多くのタレント達を生み育ててまいりましたが、一貫しておりましたことは、タレントとしてだけでなく、一人の人間として成長することを強く願っておりました。現在では、多くの皆様に支えていただくことで創業当時では考えられない程多くのタレントが、様々な分野で活躍させていただいていることにいつも感謝いたしておりました。
ジャニーが私達に最後まで言い続けていたことは、自身の意思を受け継いでくれるタレントを絶え間なく育成し、そのタレントと社員が、エンターテイメントを通じて世界中の皆様に幸せをお届けすることこそが、ジャニーズグループとして決して変わることのない思いであるということです。そして、世の中がいつまでもエンターテイメントを楽しむことができる平和で希望に満ちた未来であり続けることを心から願っておりました。これからタレントと社員がその意思を受け継ぎ、一人一人が役割を果たすことで世界中にジャニーの願いが届きますよう、タレントとスタッフ一丸となり、精進してまいりますので、何卒ご指導賜れますと幸甚に存じます。
改めまして、ファンの皆様、そして関係者の皆様には心より感謝申し上げます。
そして、この入院期間中におきまして、ご尽力くださいました病院関係者の皆様はじめ、ご支援くださいましたすべての方々に心より御礼申し上げます。
通夜・告別式につきましては、ジャニーの子供でございますタレント達とJr.のみで執り行う家族葬とさせていただきますので、何卒ご理解賜りたく存じます。
なお、これまでお世話になりました皆機にはお別れいただく機会をご用意する予定にしておりますので、決定次第、ご案内申し上げます。
大変恐縮ではございますが、個別のお問い合わせ、取材につきましては差し控えてくださいますよう、何卒ご理解とご協力の程、よろしくお願い申し上げます。
2019年7月9日
株式会社ジャニーズ事務所
平素は格別のご高配を賜り厚く御礼申し上げます。
弊社代表取締役社長ジャニー喜多川につきましてご報告がございます。
2019年7月9日午後4時47分、都内病院におきまして、ジャニー専多川は、永眠いたしました。
享年87歳、死因は、解離性脳動脈瘤破裂によるくも膜下出血でございます。
ジャニーは、自身が育てたタレント達を応援してくださるファンの皆様やご支援くださる関係者の皆様に支えていただくことにより、自身の創作活動が成立し、日々、タレントの育成に励むことができていることに、日頃より大変感謝いたしておりました。ジャニーに代わりまして、心より御礼申し上げます。
2019年6月18日午前11時30分頃、自宅におきまして体調の異変を訴え、病院に向かおうとしたところ意識を失い、救急搬送されました。搬送後、集中治療室におきまして懸命な救命措置を行っていただいたことにより、一般病棟に移ることができましたため、病院のご協力もあり、ジャニーは、自身にとって子供のような存在でございますタレントやJr.との面会を果たすことができました。ジャニーがタレント達と過ごした病院での日々は、かけがえのない時問となりました。新旧、様々な楽曲の流れる病室におきまして、年長のタレントからJr.までが同じ空問でジャニーとの思い出を語り合う、微笑ましく、和やかな時間が流れていきました。片時もジャニーが寂しい思いをしないよう、仕事の合間を縫ってタレント達は入れ替わり立ち替わり病室を訪れました。ジャニーの好物を皆で賑やかに食べることが日課となり、その光景と匂いからまるで稽古場にいるかのような感覚を覚え、皆、懐かしい記憶がよみがえりました。ときに危険な状態に陥ることもございましたが、タレント達が呼びかけ、体を摩るたびに危機を脱することができました。タレント達と過ごすことでジャニーの容体が一時的に回復するという奇跡的な出来事を繰り返し日の当たりにし、改めまして、ジャニーのタレントに対する育ての親としての深い愛情と子供達との絆の強さを感じました。そして、最愛の子供達の愛に包まれながら、2019年7月9日午後4時47分、ジャニー喜多川は、人生の幕を下ろしました。
ジャニーは病に倒れる直前まで、劇場やスタジオに赴く日々を過ごしておりました。特に公演を目前に控えたJr.達に、連日、熱心に指導する姿はジャニーのプロデューサー人生そのものであり、まさに生涯プロデューサーとしての人生を全ういたしました。
1962年ジャニーズ事務所の創業以来、ジャニーは一途にエンターテイメントの創出に励んでまいりました。ジャニーのエンターテイメントに欠かすことができないのはタレントです。これまで多くのタレント達を生み育ててまいりましたが、一貫しておりましたことは、タレントとしてだけでなく、一人の人間として成長することを強く願っておりました。現在では、多くの皆様に支えていただくことで創業当時では考えられない程多くのタレントが、様々な分野で活躍させていただいていることにいつも感謝いたしておりました。
ジャニーが私達に最後まで言い続けていたことは、自身の意思を受け継いでくれるタレントを絶え間なく育成し、そのタレントと社員が、エンターテイメントを通じて世界中の皆様に幸せをお届けすることこそが、ジャニーズグループとして決して変わることのない思いであるということです。そして、世の中がいつまでもエンターテイメントを楽しむことができる平和で希望に満ちた未来であり続けることを心から願っておりました。これからタレントと社員がその意思を受け継ぎ、一人一人が役割を果たすことで世界中にジャニーの願いが届きますよう、タレントとスタッフ一丸となり、精進してまいりますので、何卒ご指導賜れますと幸甚に存じます。
改めまして、ファンの皆様、そして関係者の皆様には心より感謝申し上げます。
そして、この入院期間中におきまして、ご尽力くださいました病院関係者の皆様はじめ、ご支援くださいましたすべての方々に心より御礼申し上げます。
通夜・告別式につきましては、ジャニーの子供でございますタレント達とJr.のみで執り行う家族葬とさせていただきますので、何卒ご理解賜りたく存じます。
なお、これまでお世話になりました皆機にはお別れいただく機会をご用意する予定にしておりますので、決定次第、ご案内申し上げます。
大変恐縮ではございますが、個別のお問い合わせ、取材につきましては差し控えてくださいますよう、何卒ご理解とご協力の程、よろしくお願い申し上げます。
2019年7月9日
株式会社ジャニーズ事務所
弊社代表取締役社長ジャニー喜多川につきましてご報告がございます。
2019年7月9日午後4時47分、都内病院におきまして、ジャニー専多川は、永眠いたしました。
享年87歳、死因は、解離性脳動脈瘤破裂によるくも膜下出血でございます。
ジャニーは、自身が育てたタレント達を応援してくださるファンの皆様やご支援くださる関係者の皆様に支えていただくことにより、自身の創作活動が成立し、日々、タレントの育成に励むことができていることに、日頃より大変感謝いたしておりました。ジャニーに代わりまして、心より御礼申し上げます。
2019年6月18日午前11時30分頃、自宅におきまして体調の異変を訴え、病院に向かおうとしたところ意識を失い、救急搬送されました。搬送後、集中治療室におきまして懸命な救命措置を行っていただいたことにより、一般病棟に移ることができましたため、病院のご協力もあり、ジャニーは、自身にとって子供のような存在でございますタレントやJr.との面会を果たすことができました。ジャニーがタレント達と過ごした病院での日々は、かけがえのない時問となりました。新旧、様々な楽曲の流れる病室におきまして、年長のタレントからJr.までが同じ空問でジャニーとの思い出を語り合う、微笑ましく、和やかな時間が流れていきました。片時もジャニーが寂しい思いをしないよう、仕事の合間を縫ってタレント達は入れ替わり立ち替わり病室を訪れました。ジャニーの好物を皆で賑やかに食べることが日課となり、その光景と匂いからまるで稽古場にいるかのような感覚を覚え、皆、懐かしい記憶がよみがえりました。ときに危険な状態に陥ることもございましたが、タレント達が呼びかけ、体を摩るたびに危機を脱することができました。タレント達と過ごすことでジャニーの容体が一時的に回復するという奇跡的な出来事を繰り返し日の当たりにし、改めまして、ジャニーのタレントに対する育ての親としての深い愛情と子供達との絆の強さを感じました。そして、最愛の子供達の愛に包まれながら、2019年7月9日午後4時47分、ジャニー喜多川は、人生の幕を下ろしました。
ジャニーは病に倒れる直前まで、劇場やスタジオに赴く日々を過ごしておりました。特に公演を目前に控えたJr.達に、連日、熱心に指導する姿はジャニーのプロデューサー人生そのものであり、まさに生涯プロデューサーとしての人生を全ういたしました。
1962年ジャニーズ事務所の創業以来、ジャニーは一途にエンターテイメントの創出に励んでまいりました。ジャニーのエンターテイメントに欠かすことができないのはタレントです。これまで多くのタレント達を生み育ててまいりましたが、一貫しておりましたことは、タレントとしてだけでなく、一人の人間として成長することを強く願っておりました。現在では、多くの皆様に支えていただくことで創業当時では考えられない程多くのタレントが、様々な分野で活躍させていただいていることにいつも感謝いたしておりました。
ジャニーが私達に最後まで言い続けていたことは、自身の意思を受け継いでくれるタレントを絶え間なく育成し、そのタレントと社員が、エンターテイメントを通じて世界中の皆様に幸せをお届けすることこそが、ジャニーズグループとして決して変わることのない思いであるということです。そして、世の中がいつまでもエンターテイメントを楽しむことができる平和で希望に満ちた未来であり続けることを心から願っておりました。これからタレントと社員がその意思を受け継ぎ、一人一人が役割を果たすことで世界中にジャニーの願いが届きますよう、タレントとスタッフ一丸となり、精進してまいりますので、何卒ご指導賜れますと幸甚に存じます。
改めまして、ファンの皆様、そして関係者の皆様には心より感謝申し上げます。
そして、この入院期間中におきまして、ご尽力くださいました病院関係者の皆様はじめ、ご支援くださいましたすべての方々に心より御礼申し上げます。
通夜・告別式につきましては、ジャニーの子供でございますタレント達とJr.のみで執り行う家族葬とさせていただきますので、何卒ご理解賜りたく存じます。
なお、これまでお世話になりました皆機にはお別れいただく機会をご用意する予定にしておりますので、決定次第、ご案内申し上げます。
大変恐縮ではございますが、個別のお問い合わせ、取材につきましては差し控えてくださいますよう、何卒ご理解とご協力の程、よろしくお願い申し上げます。
2019年7月9日
株式会社ジャニーズ事務所
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