【ギルガメッシュFIGHT】
藤原季節、俳優10年目を迎え意識している“受け入れること”「自分の欲望だけだと息切れしてしまう」
「破滅的な演技がしたい」という大東駿介との共演を楽しみにしていた
ーー90年代生まれの藤原さんにとって、このドラマは、今の時代からは想像できないような世界観だったと思うのですが、最初に台本を読んだときの感想をお聞かせください。
まず純粋に、脚本も作品としてもおもしろいと思いました。それから大東駿介さんとも共演できる機会があるかもしれないということもあって、ぜひやらせていただきたいと。その後に「ギルガメッシュないと」という伝説の番組といわれる存在を知りました。
非常に熱烈なファンが多い番組だということを後から知って、徐々にプレッシャーに感じていきましたね。当時見ていた人の熱量がものすごくて、これはすごいプロジェクトになりそうだなと、本当にドキドキしました。
ーー大東さんとの共演を楽しみにされていたということでしたが、その理由は。
個人的に、大東さんの舞台をよく拝見しているのですが、大東さんは毎回アナーキーな演技をされるというか、型にはまらない演技が凄まじいんです。以前、映画「明日の食卓」でもご一緒したのですが、その時も勢いのあるお芝居をされていて、大好きな俳優さんなので共演を楽しみにしていました。
今回の「ギルガメッシュFIGHT」でも、大東さんの予想だにしない熱量とエンジンのかかり方に驚きました。彼の“力の根源”を取材しようと思って、待ち時間もずっと大東さんの楽屋に押しかけてましたね(笑)。
大東さんは、破滅的な演技がしたいそうなんです。例えば、舞台だと30公演以上あったりするんですが、大東さんの演技の仕方で30公演もつのかなって毎回、思っていました。その感想を素直に本人に伝えたら「そう思わせたいねん。こいつ最後までもつのかなっていう演技を毎公演したい」とおっしゃっていて。その熱意がすごいなと思いましたし、撮影でも記者会見でも、その破滅的な姿は変わっていなくて、本当に尊敬する人です。
現代で尖った表現をすることの勇気
ーー「ギルガメッシュないと」を知らない世代の人もご覧になると思いますが、その世代に向けての見どころと、現代にも通じるドラマのメッセージ性は何だと思いますか?
当時は、“エロは人間の本質である”ということを、大きな声で言って番組を制作できた時代だったと思うんです。そしてそれに吸い寄せられた人たちが番組を見ていたと思うんですが、今は多様な価値観を認めようという時代なので、1つの尖った意見を大きな声で主張することって難しくなっているんじゃないかと感じます。“エロは人間の本質である”といっても、恋愛しない方もいるでしょうし、嫌悪感を持つ人もいますよね。
でも、そんな時代に窮屈さを感じてる人も多いはずだ、というのが出発点の思いとしてあって、そこに目を背けずに作られた番組です。それから、ギルガメはエロ番組ではなくて、エロをテーマにしたバラエティー。ただのエロじゃダメで、バラエティーになっていないといけない。そこのこだわりが強いんです。
僕が好きな加藤のセリフで「番組はプロデューサーのものじゃない。ディレクターのものだ」っていう言葉があります。プロデューサーはコンプライアンスや世間の声を反映して、もう少し抑えようと言うんですが、加藤は全部跳ね除けて、妥協せずに企画を考え続けます。それは最近では、少なくなってきた傾向なのかなと思います。多様な価値観全てに順応するために、尖ったものを押さえつけてしまいがちなのかなと。だからこのドラマ通して、尖った表現をすることとか、周りに嫌われることを恐れないとか、そういう精神を見ることもできるのかなと思います。
「加藤の個性をどう色づけしていくかは、本当に苦労しました」
ーー天才と呼ばれるディレクター・加藤という人物を演じきれたという実感はありましたか。
加藤の個性をどう色づけしていくかは、本当に苦労しました。出演が決まってから「全裸監督」や、マーティン・スコセッシ監督の作品を見直したりしたのですが、どうあがいても山田孝之さんの真似は絶対できないなって気づいたんです。山田さんがやられていることって本当にすごいんですよ。
でも、あれをしよう、これをしようって足し算方式でやりたいことをどんどん足していくと、個性がぐちゃぐちゃになってきて…。もっと人物の核をつかまなきゃと思って、自分が演じるモデルになった人の写真を飾ってそれを毎日見続けたり、監督とディスカッションを重ねたりしました。
足し算的な個性は衣装を着たり、監督の演出や共演者の動きに順応していく瞬発力を大事にしましたね。例えば、衣装がすごく派手なので、この派手な服を着ている人物が違和感なくその場に立っていられるには、どういう佇まいが正解なんだろうと考えたり。現場で集中して、人との関わり方や、目に見えたものへの反応の仕方、その一つ一つに個性を乗せていって、結果的に加藤を生み出していきました。
俳優としてのキャリア10周年を迎える現在は「『これをやりたい』と『受け止める』の間にいたい」
ーー大東さんは“破滅的な演技がしたい”とおっしゃっていたとのことですが、藤原さんは今後どんな演技をしていきたいですか。
俳優を続けて10年になるのですが、自分はこういう演技がしたい、こういう役がやりたいって望みすぎると、その場所にたどり着けないような気がしてきたんです。自分自身の欲望だけだとどうしても息切れしてしまう。だから、自分に与えられる役や役割を受け入れて全うすることも意識して、「これをやりたい」と「受け止める」の間にいたいと思っています。
2022年は、他者が見てくれる自分を大事にしたり、他者がくれたアドバイスを真剣に聞いたりと、そういうことに初めてチャレンジしてきた1年でした。2023年はその結果が出てくる年だと思います。受け入れ続けた結果、どこにたどり着くのか、自分自身でも見てみたいですね。
自分の今の目標は落ち着くことです(笑)。小さい頃からいつも100%の感度で物事を捉えて、全部に反応してたので、今は落ち着いて自分に与えられた仕事をして、結果的にその先にたどり着ければいいなと思います。
藤原季節、俳優10年目を迎え意識している“受け入れること”「自分の欲望だけだと息切れしてしまう」
「破滅的な演技がしたい」という大東駿介との共演を楽しみにしていた
ーー90年代生まれの藤原さんにとって、このドラマは、今の時代からは想像できないような世界観だったと思うのですが、最初に台本を読んだときの感想をお聞かせください。
まず純粋に、脚本も作品としてもおもしろいと思いました。それから大東駿介さんとも共演できる機会があるかもしれないということもあって、ぜひやらせていただきたいと。その後に「ギルガメッシュないと」という伝説の番組といわれる存在を知りました。
非常に熱烈なファンが多い番組だということを後から知って、徐々にプレッシャーに感じていきましたね。当時見ていた人の熱量がものすごくて、これはすごいプロジェクトになりそうだなと、本当にドキドキしました。
ーー大東さんとの共演を楽しみにされていたということでしたが、その理由は。
個人的に、大東さんの舞台をよく拝見しているのですが、大東さんは毎回アナーキーな演技をされるというか、型にはまらない演技が凄まじいんです。以前、映画「明日の食卓」でもご一緒したのですが、その時も勢いのあるお芝居をされていて、大好きな俳優さんなので共演を楽しみにしていました。
今回の「ギルガメッシュFIGHT」でも、大東さんの予想だにしない熱量とエンジンのかかり方に驚きました。彼の“力の根源”を取材しようと思って、待ち時間もずっと大東さんの楽屋に押しかけてましたね(笑)。
大東さんは、破滅的な演技がしたいそうなんです。例えば、舞台だと30公演以上あったりするんですが、大東さんの演技の仕方で30公演もつのかなって毎回、思っていました。その感想を素直に本人に伝えたら「そう思わせたいねん。こいつ最後までもつのかなっていう演技を毎公演したい」とおっしゃっていて。その熱意がすごいなと思いましたし、撮影でも記者会見でも、その破滅的な姿は変わっていなくて、本当に尊敬する人です。
現代で尖った表現をすることの勇気
ーー「ギルガメッシュないと」を知らない世代の人もご覧になると思いますが、その世代に向けての見どころと、現代にも通じるドラマのメッセージ性は何だと思いますか?
当時は、“エロは人間の本質である”ということを、大きな声で言って番組を制作できた時代だったと思うんです。そしてそれに吸い寄せられた人たちが番組を見ていたと思うんですが、今は多様な価値観を認めようという時代なので、1つの尖った意見を大きな声で主張することって難しくなっているんじゃないかと感じます。“エロは人間の本質である”といっても、恋愛しない方もいるでしょうし、嫌悪感を持つ人もいますよね。
でも、そんな時代に窮屈さを感じてる人も多いはずだ、というのが出発点の思いとしてあって、そこに目を背けずに作られた番組です。それから、ギルガメはエロ番組ではなくて、エロをテーマにしたバラエティー。ただのエロじゃダメで、バラエティーになっていないといけない。そこのこだわりが強いんです。
僕が好きな加藤のセリフで「番組はプロデューサーのものじゃない。ディレクターのものだ」っていう言葉があります。プロデューサーはコンプライアンスや世間の声を反映して、もう少し抑えようと言うんですが、加藤は全部跳ね除けて、妥協せずに企画を考え続けます。それは最近では、少なくなってきた傾向なのかなと思います。多様な価値観全てに順応するために、尖ったものを押さえつけてしまいがちなのかなと。だからこのドラマ通して、尖った表現をすることとか、周りに嫌われることを恐れないとか、そういう精神を見ることもできるのかなと思います。
「加藤の個性をどう色づけしていくかは、本当に苦労しました」
ーー天才と呼ばれるディレクター・加藤という人物を演じきれたという実感はありましたか。
加藤の個性をどう色づけしていくかは、本当に苦労しました。出演が決まってから「全裸監督」や、マーティン・スコセッシ監督の作品を見直したりしたのですが、どうあがいても山田孝之さんの真似は絶対できないなって気づいたんです。山田さんがやられていることって本当にすごいんですよ。
でも、あれをしよう、これをしようって足し算方式でやりたいことをどんどん足していくと、個性がぐちゃぐちゃになってきて…。もっと人物の核をつかまなきゃと思って、自分が演じるモデルになった人の写真を飾ってそれを毎日見続けたり、監督とディスカッションを重ねたりしました。
足し算的な個性は衣装を着たり、監督の演出や共演者の動きに順応していく瞬発力を大事にしましたね。例えば、衣装がすごく派手なので、この派手な服を着ている人物が違和感なくその場に立っていられるには、どういう佇まいが正解なんだろうと考えたり。現場で集中して、人との関わり方や、目に見えたものへの反応の仕方、その一つ一つに個性を乗せていって、結果的に加藤を生み出していきました。
俳優としてのキャリア10周年を迎える現在は「『これをやりたい』と『受け止める』の間にいたい」
ーー大東さんは“破滅的な演技がしたい”とおっしゃっていたとのことですが、藤原さんは今後どんな演技をしていきたいですか。
俳優を続けて10年になるのですが、自分はこういう演技がしたい、こういう役がやりたいって望みすぎると、その場所にたどり着けないような気がしてきたんです。自分自身の欲望だけだとどうしても息切れしてしまう。だから、自分に与えられる役や役割を受け入れて全うすることも意識して、「これをやりたい」と「受け止める」の間にいたいと思っています。
2022年は、他者が見てくれる自分を大事にしたり、他者がくれたアドバイスを真剣に聞いたりと、そういうことに初めてチャレンジしてきた1年でした。2023年はその結果が出てくる年だと思います。受け入れ続けた結果、どこにたどり着くのか、自分自身でも見てみたいですね。
自分の今の目標は落ち着くことです(笑)。小さい頃からいつも100%の感度で物事を捉えて、全部に反応してたので、今は落ち着いて自分に与えられた仕事をして、結果的にその先にたどり着ければいいなと思います。
「生死以外は皆かすり傷」(其のニ)
今や「金銭万能」の時代だと言われたりするが、実はそうでもなさそうだ。この三年近くのコロナウィルスとの戦いがそれを物語っているはずである。もちろん、お金の力が大きいことは今さら言うまでもない。だが、その一方我々はお金が必ずしも万能でないことを教えてくれる事件や事実を余りにも多く見てきた筈である。
自分の周りをちょっと見ただけでもお金だけでは絶対解決できない問題や悩みを抱えている者がどれほど多いことやら?それはただただ「運命」としか言いようのないものばかりである。
もちろん、その中にはあぶく銭を手にして、いかにも偉そうにしている「成金」もいるのだが、彼らを見ていて同情どころか「ザマを見ろ!」と言いたくなるくらいである。こんなことを言うと何か人の不幸を喜ぶようで気が引けるが、日頃もうちょっと周りの者にやさしく謙虚な姿勢で生きていたならば、こんな目に遭わなくて済んだかも?と思ってしまったりする。
その一方、周りの者にいつもやさしく接し、真面目に生きている者がなぜか不幸に見舞われたりするのをしばしば目にする。もちろんそれはお金だけでは決して解決できるような問題ではないので尚更気の毒だが、更に驚くことにはそれでも彼らはいつも明るい顔で元気に生きていく。その姿を見るたびに俺は自ずと感嘆の声と共に畏敬の念を抱かざるを得ない。
それに比べ、俺ごとき凡夫はどれほど恵まれていることか?健康な体を持ちながら毎日欲望の虜となってブツブツと不平不満ばかり言っている…思いっきりその横っ面をひっぱたいてやりたい。
2022年の大晦日・仏山の別宅にて
今や「金銭万能」の時代だと言われたりするが、実はそうでもなさそうだ。この三年近くのコロナウィルスとの戦いがそれを物語っているはずである。もちろん、お金の力が大きいことは今さら言うまでもない。だが、その一方我々はお金が必ずしも万能でないことを教えてくれる事件や事実を余りにも多く見てきた筈である。
自分の周りをちょっと見ただけでもお金だけでは絶対解決できない問題や悩みを抱えている者がどれほど多いことやら?それはただただ「運命」としか言いようのないものばかりである。
もちろん、その中にはあぶく銭を手にして、いかにも偉そうにしている「成金」もいるのだが、彼らを見ていて同情どころか「ザマを見ろ!」と言いたくなるくらいである。こんなことを言うと何か人の不幸を喜ぶようで気が引けるが、日頃もうちょっと周りの者にやさしく謙虚な姿勢で生きていたならば、こんな目に遭わなくて済んだかも?と思ってしまったりする。
その一方、周りの者にいつもやさしく接し、真面目に生きている者がなぜか不幸に見舞われたりするのをしばしば目にする。もちろんそれはお金だけでは決して解決できるような問題ではないので尚更気の毒だが、更に驚くことにはそれでも彼らはいつも明るい顔で元気に生きていく。その姿を見るたびに俺は自ずと感嘆の声と共に畏敬の念を抱かざるを得ない。
それに比べ、俺ごとき凡夫はどれほど恵まれていることか?健康な体を持ちながら毎日欲望の虜となってブツブツと不平不満ばかり言っている…思いっきりその横っ面をひっぱたいてやりたい。
2022年の大晦日・仏山の別宅にて
#小栗旬# 20221224「演劇宣言」访谈节选
花了一年零五个月的时间来演绎同一个角色,令我深深地感受到了演出的艰辛。本来,像(饰演北条義時)这种程度的紧张感,或者说对演绎的深度也好,无论是用两个月拍摄的作品,还是用一个月拍摄的作品,都应该提前做好准备,这是我第一次体验到这种感受。我并不是太喜欢角色附身这种说法,但正是在过程中培养出的感觉、花费的时间、自己内心积累起来的对角色的理解,以及对周围角色的感情,让我感到“一个人的人生就是这样的。”就这么度过了一年零五个月的时光。我开始觉得,下次再选择工作的时候,假如感觉没有足够的时间和足够的精力来投入到这个角色之中,就不能去接受这份工作。那样的话,我也许会变成一个一年只拍一部作品的人了,但我希望我可以慢慢来。如果说自己真正的欲望,我以前就提到过,相比影视剧作品,还是压倒性的更喜欢舞台,如果可能的话,我还想演话剧(笑)。
――大河ドラマを拝見していて、ドラマだけれど、リアルなドキュメンタリーを見ているようというか、改めて演じるって何なのだろうと考えてしまったのですが、小栗さんにとって「演じる」とは何でしょうか?
1年5ヶ月間ひとつの役を演じさせてもらって、演じることの大変さをものすごく痛感しました。本来、ああいうテンションというか、役の深度みたいなものを、2ヶ月で撮る作品であろうと、1ヶ月で撮る作品であろうと、事前に準備しなければいけないと感じ、それは初めての経験でした。役が憑依するという言い方があまり好きじゃないですが、培ってきたものと、時間と、自分の中で積み上げられたその役に対する想いと、そしてその周辺にいる役たちへの想いみたいなものが、「人間の人生ってこういうことだよな」と感じられた1年5か月間を過ごさせていただきました。次から仕事を選ぶ時にも、自分がそのテンションでひとつの役を持っていけるだけの時間と、役に対するアプローチができると思ったものでないと、やってはいけないんじゃないかと思い始めています。そうなると、1年に1本くらいしかやらない人になってしまうかもしれませんが、徐々にできていけたらと思っていますし、本当の自分の欲を言えば、昔から言っていますが、映像よりも演劇のほうが圧倒的に好きなので、できれば演劇をやっていたいなぁと思います(笑)。
花了一年零五个月的时间来演绎同一个角色,令我深深地感受到了演出的艰辛。本来,像(饰演北条義時)这种程度的紧张感,或者说对演绎的深度也好,无论是用两个月拍摄的作品,还是用一个月拍摄的作品,都应该提前做好准备,这是我第一次体验到这种感受。我并不是太喜欢角色附身这种说法,但正是在过程中培养出的感觉、花费的时间、自己内心积累起来的对角色的理解,以及对周围角色的感情,让我感到“一个人的人生就是这样的。”就这么度过了一年零五个月的时光。我开始觉得,下次再选择工作的时候,假如感觉没有足够的时间和足够的精力来投入到这个角色之中,就不能去接受这份工作。那样的话,我也许会变成一个一年只拍一部作品的人了,但我希望我可以慢慢来。如果说自己真正的欲望,我以前就提到过,相比影视剧作品,还是压倒性的更喜欢舞台,如果可能的话,我还想演话剧(笑)。
――大河ドラマを拝見していて、ドラマだけれど、リアルなドキュメンタリーを見ているようというか、改めて演じるって何なのだろうと考えてしまったのですが、小栗さんにとって「演じる」とは何でしょうか?
1年5ヶ月間ひとつの役を演じさせてもらって、演じることの大変さをものすごく痛感しました。本来、ああいうテンションというか、役の深度みたいなものを、2ヶ月で撮る作品であろうと、1ヶ月で撮る作品であろうと、事前に準備しなければいけないと感じ、それは初めての経験でした。役が憑依するという言い方があまり好きじゃないですが、培ってきたものと、時間と、自分の中で積み上げられたその役に対する想いと、そしてその周辺にいる役たちへの想いみたいなものが、「人間の人生ってこういうことだよな」と感じられた1年5か月間を過ごさせていただきました。次から仕事を選ぶ時にも、自分がそのテンションでひとつの役を持っていけるだけの時間と、役に対するアプローチができると思ったものでないと、やってはいけないんじゃないかと思い始めています。そうなると、1年に1本くらいしかやらない人になってしまうかもしれませんが、徐々にできていけたらと思っていますし、本当の自分の欲を言えば、昔から言っていますが、映像よりも演劇のほうが圧倒的に好きなので、できれば演劇をやっていたいなぁと思います(笑)。
✋热门推荐