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〔鳥たちの季節〕
第4回 ツルは千年?
上田 恵介
公益財団法人日本野鳥の会会長、立教大学名誉教授
「鶴は千年、亀は万年」ということわざがある。私も「ツルは本当に長生きなんですか?」という質問をされることがよくある。まさかツルが千年も生きると本気で信じている人はいないだろうが、なんとなく長生きなんじゃないかと思われて、長寿のシンボルとされているのがツルである。
日本でツルといえばタンチョウ。タンチョウ(丹頂)の丹(たん)は酸化水銀の朱色のこと。頭のてっぺん(頂)が赤いので、丹頂という名がつけられた。その清楚な姿は、古くから絵画にも描かれ、縁起のいい鳥として人々に親しまれてきた。江戸時代までは全国各地に生息していたらしいが、現在は北海道の釧路湿原や道東地域に少数が生息しているだけである。
タンチョウは何年くらい生きるのだろう。動物園で飼育されていた記録では40年ちょっと、野生では平均して25年くらいと言われている。タンチョウ以外のツルで寿命の正確な記録が残っているソデグロヅルでは、61年生きた例があるので、タンチョウも条件次第では60年くらいは生きると思われる。
日本は「人生100年時代」に突入したと言われているが、ツル以外の鳥ではどうだろうか。これまでに世界の鳥で寿命の記録が残っている例では、長寿第一位はヤシオウムの90年、二位はフラミンゴの83年、第三位がモモイロペリカンとワシミミズクで68年である。一般に大型の鳥は寿命が長い。オウムの仲間のキバタンが120年生きたという非公式の記録があるので、もしかすると大型のオウムやインコの中には、百年以上生きるものが出てくるかもしれない。
野外の鳥については、寿命を調べることはなかなかむずかしい。だが海鳥たちは、毎年、同じ繁殖地に戻ってくることから、寿命に関する正確なデータが残されている種類もある。その一つがアホウドリ類である。鳥島のアホウドリでは、ヒナの時に足輪をつけられ、30歳を超えた今も元気に子育てしている個体がいて、現在も記録を更新中である。
アホウドリ類は全般に長生きである。最高齢の記録はミッドウェイ諸島で繁殖しているコアホウドリで、現在69歳の個体がいることが知られている。ウィズダム(知恵)と名づけられたこのコアホウドリの存在が初めて確認されたのは2002年のことである。ミッドウェイ諸島では、半世紀以上にわたって、アメリカの研究者によって海鳥に金属製の足輪をつける研究が行われているが、2002年に摩耗した足輪の交換が行われたとき、この個体が最初に足輪をつけられたのは1956年であることがわかった。アホウドリ類は少なくとも四歳にならないと繁殖できないことから、この時点でウィズダムはコアホウドリとしては最高齢の52歳と推定された。
彼女はそれ以後も毎年、繁殖地に戻ってきて繁殖を繰り返し、昨年11月にも、またミッドウェイに戻ってきて、繁殖活動に入っている。ということはウィズダムはすでに69歳、寿命に関する記録が残された野生の鳥としては世界最高齢である。しかも繁殖活動をしているというのだからすごい。彼女はあとどれくらい記録を伸ばすのだろうか。
写真:長寿のシンボルとされているツルのタンチョウの写真。
タンチョウ
〔鳥たちの季節〕
第4回 ツルは千年?
上田 恵介
公益財団法人日本野鳥の会会長、立教大学名誉教授
「鶴は千年、亀は万年」ということわざがある。私も「ツルは本当に長生きなんですか?」という質問をされることがよくある。まさかツルが千年も生きると本気で信じている人はいないだろうが、なんとなく長生きなんじゃないかと思われて、長寿のシンボルとされているのがツルである。
日本でツルといえばタンチョウ。タンチョウ(丹頂)の丹(たん)は酸化水銀の朱色のこと。頭のてっぺん(頂)が赤いので、丹頂という名がつけられた。その清楚な姿は、古くから絵画にも描かれ、縁起のいい鳥として人々に親しまれてきた。江戸時代までは全国各地に生息していたらしいが、現在は北海道の釧路湿原や道東地域に少数が生息しているだけである。
タンチョウは何年くらい生きるのだろう。動物園で飼育されていた記録では40年ちょっと、野生では平均して25年くらいと言われている。タンチョウ以外のツルで寿命の正確な記録が残っているソデグロヅルでは、61年生きた例があるので、タンチョウも条件次第では60年くらいは生きると思われる。
日本は「人生100年時代」に突入したと言われているが、ツル以外の鳥ではどうだろうか。これまでに世界の鳥で寿命の記録が残っている例では、長寿第一位はヤシオウムの90年、二位はフラミンゴの83年、第三位がモモイロペリカンとワシミミズクで68年である。一般に大型の鳥は寿命が長い。オウムの仲間のキバタンが120年生きたという非公式の記録があるので、もしかすると大型のオウムやインコの中には、百年以上生きるものが出てくるかもしれない。
野外の鳥については、寿命を調べることはなかなかむずかしい。だが海鳥たちは、毎年、同じ繁殖地に戻ってくることから、寿命に関する正確なデータが残されている種類もある。その一つがアホウドリ類である。鳥島のアホウドリでは、ヒナの時に足輪をつけられ、30歳を超えた今も元気に子育てしている個体がいて、現在も記録を更新中である。
アホウドリ類は全般に長生きである。最高齢の記録はミッドウェイ諸島で繁殖しているコアホウドリで、現在69歳の個体がいることが知られている。ウィズダム(知恵)と名づけられたこのコアホウドリの存在が初めて確認されたのは2002年のことである。ミッドウェイ諸島では、半世紀以上にわたって、アメリカの研究者によって海鳥に金属製の足輪をつける研究が行われているが、2002年に摩耗した足輪の交換が行われたとき、この個体が最初に足輪をつけられたのは1956年であることがわかった。アホウドリ類は少なくとも四歳にならないと繁殖できないことから、この時点でウィズダムはコアホウドリとしては最高齢の52歳と推定された。
彼女はそれ以後も毎年、繁殖地に戻ってきて繁殖を繰り返し、昨年11月にも、またミッドウェイに戻ってきて、繁殖活動に入っている。ということはウィズダムはすでに69歳、寿命に関する記録が残された野生の鳥としては世界最高齢である。しかも繁殖活動をしているというのだからすごい。彼女はあとどれくらい記録を伸ばすのだろうか。
写真:長寿のシンボルとされているツルのタンチョウの写真。
タンチョウ
誰かを所有する若しくは誰かに所有されるような所有というものにこだわる生活様式を拒絶する人は、絆による苦または楽に左右されず粋な暮らしができる。
あいつは、この後にある長々とした歳月を経ても所有に限られぬ元々の自分を維持し抜けるか。
あいつは、「ある日に至って、私もあいつを失ったなあ、クソ、と所有の刃に強く刺されて傷心のこもった文句を言い出したい」と。純粋な人である優位性にも関わらず、このままのような自分が悪いと考えているみたいだ。他人への傷つけがもたらす傷心さえあれば成長になる、あいつはこう考えているんだ。
しかし、昨日の私は昨日の私、明日の私も所詮明日の私。価値観が変わっただけで、成長というものはそもそも存在しない。高校時代の私は今の私より一目置いているような判断を下すより、二つの段階にある二人の私は世界に対する考え方だけ、考え方こそ、が違っているに過ぎないのだ。
何年後のある日、再び会えた場合、お前はどうなろうと、「成長したなあ」と褒めたり或いは「まったく成長していない」と貶めたりはしない。ただ「違っているのだ」などと伝えるつもりだ。
ほら、成長とは一切関係ないんだ。死んでいない限り私自分だ。
あいつは、この後にある長々とした歳月を経ても所有に限られぬ元々の自分を維持し抜けるか。
あいつは、「ある日に至って、私もあいつを失ったなあ、クソ、と所有の刃に強く刺されて傷心のこもった文句を言い出したい」と。純粋な人である優位性にも関わらず、このままのような自分が悪いと考えているみたいだ。他人への傷つけがもたらす傷心さえあれば成長になる、あいつはこう考えているんだ。
しかし、昨日の私は昨日の私、明日の私も所詮明日の私。価値観が変わっただけで、成長というものはそもそも存在しない。高校時代の私は今の私より一目置いているような判断を下すより、二つの段階にある二人の私は世界に対する考え方だけ、考え方こそ、が違っているに過ぎないのだ。
何年後のある日、再び会えた場合、お前はどうなろうと、「成長したなあ」と褒めたり或いは「まったく成長していない」と貶めたりはしない。ただ「違っているのだ」などと伝えるつもりだ。
ほら、成長とは一切関係ないんだ。死んでいない限り私自分だ。
「チャンスの順番」とがあるが、「いつかきっと巡ってくる」のを、私は待っていられない。
虽然说机遇是会流转,属于你的机会总会降临,但是我没有“等待”这个选择。
「あと1年待ってて」っていうのは、ナンセンスだから。いくら正しいことをしてるだろうが、それを人に言うのはナンセンスだから。
就算做的事情再正确,就算那件事情本身再有道理,“可以再等我一年吗?”这种话,对任何人讲都毫无意义。
「長い冬の後には君の春」、「誰かと比べるよりも未来の自分」、「今まで以上にどんな時も輝く」、のはずだ。
“漫长的寒冬之后是属于你的春天”,“不必与他人比较的只属于自己的未来”,“至今都未曾有过的闪耀与骄傲”,我相信应该会是这样。
今年こそ、「心を空白に」。その時まで、私は立ち止まることができないんだから。
或许今年才是真正决心的一年,要做的反倒是“心中空无一物”。直到那一天到来之前,我不会、也不能回头。
では、またいつか。Someday when spring is here
那么,愿我们能再见的某一天,会是春暖花开。
虽然说机遇是会流转,属于你的机会总会降临,但是我没有“等待”这个选择。
「あと1年待ってて」っていうのは、ナンセンスだから。いくら正しいことをしてるだろうが、それを人に言うのはナンセンスだから。
就算做的事情再正确,就算那件事情本身再有道理,“可以再等我一年吗?”这种话,对任何人讲都毫无意义。
「長い冬の後には君の春」、「誰かと比べるよりも未来の自分」、「今まで以上にどんな時も輝く」、のはずだ。
“漫长的寒冬之后是属于你的春天”,“不必与他人比较的只属于自己的未来”,“至今都未曾有过的闪耀与骄傲”,我相信应该会是这样。
今年こそ、「心を空白に」。その時まで、私は立ち止まることができないんだから。
或许今年才是真正决心的一年,要做的反倒是“心中空无一物”。直到那一天到来之前,我不会、也不能回头。
では、またいつか。Someday when spring is here
那么,愿我们能再见的某一天,会是春暖花开。
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