20个非常美丽的日语四字熟语,意境都很美,赶紧看看
1. 花紅柳緑 かこうりゅうりょく
自然のままの美しさのこと。春の美しい景色のこと。色とりどりの華やかなこと。
2. 花鳥風月 かちょうふうげつ
自然の美しい景色。
3. 迦陵頻伽 かりょうびんが
声の非常に美しいもののや、美しい声のたとえ。
4. 鏡花水月 きょうかすいげつ
はかない幻のたとえ。目には見えるが、手に取ることのできないもののたとえ。
5. 山紫水明 さんしすいめい
自然の風景が美しいこと。山や川の景色が美しいこと。
6. 芝蘭玉樹 しらんぎょくじゅ
才能のあるすぐれた人材や子弟のこと。
7. 晴雲秋月 せいうんしゅうげつ
心に汚れがなく、澄みとおっているたとえ。「晴雲」は、晴れた空に浮かぶ雲、「秋月」は、秋の澄んだ空の月の意味。
8. 清風明月 せいふうめいげつ
明月と清らかな風の中の静かですがすがしいたたずまい。
9. 雪月風花 せつげつふうか
冬の雪、秋の月、夏の風、春の花ということから四季折々の自然の美しい景色のこと。また、それを鑑賞して、詩や歌を作ったりする風流な様子のこと。
10. 千紫万紅 せんしばんこう
色とりどりの花が咲き乱れるている情景。さまざまの色彩のこと。
11. 百花繚乱 ひゃかりょうらん
様々な種類の花が色とりどりにが咲き乱れること。たくさんの優秀な人物が一堂に会する状況。
12. 明鏡止水 めいきょうしすい
曇りの無い鏡と澄んだ水面のように、邪念がなく、安らかに落ち着いた心境のこと。
「明鏡」は一点の曇りもない鏡のこと。「止水」は水が止まって、静かにたたえていること。
13. 落花流水 らっかりゅうすい
落ちた花が水に従って流れるという意味で、過ぎ行く春の景色や物事の衰えゆくことのたとえ。時がむなしく過ぎ去るたとえ。男女の気持ちが互いに通じ合い、相思相愛の状態にあること。
14. 暮色蒼然 ぼしょくそうぜん
夕暮れになって、徐々にあたりが薄暗くなっていく様子。
「暮色」は夕暮れどきの薄暗い景色のこと。「蒼然」は日暮れどきの薄暗さのこと。
15. 高山流水 こうざんりゅうすい
高い山と流れる水。すぐれて巧みな音楽、絶妙な演奏のたとえ。けがれのない澄んだ自然のこと。
16. 脣星落落 しんせいらくらく
明け方の星が一つ一つ消えて行くように大切な物が一つ一つ消えて行く哀しさ。
17. 一片氷心 いっぺんのひょうしん
汚れなく、清らかで澄んだ美しい心のこと。
「一片」は、ひとかけら。「氷心」は、氷のように透明な心のこと。
18. 桜梅桃李
桜、梅、桃、李(すもも)のことで、それぞれが独自の能力の花を咲かせること。
19. 雲外蒼天 うんがいそうてん
試練を努力して乗り越えれば快い青空が望めるという意味。
20. 花天月地 かてんげっち
沢山の花が咲いている大地を月が明るく大地を照らす景色。
1. 花紅柳緑 かこうりゅうりょく
自然のままの美しさのこと。春の美しい景色のこと。色とりどりの華やかなこと。
2. 花鳥風月 かちょうふうげつ
自然の美しい景色。
3. 迦陵頻伽 かりょうびんが
声の非常に美しいもののや、美しい声のたとえ。
4. 鏡花水月 きょうかすいげつ
はかない幻のたとえ。目には見えるが、手に取ることのできないもののたとえ。
5. 山紫水明 さんしすいめい
自然の風景が美しいこと。山や川の景色が美しいこと。
6. 芝蘭玉樹 しらんぎょくじゅ
才能のあるすぐれた人材や子弟のこと。
7. 晴雲秋月 せいうんしゅうげつ
心に汚れがなく、澄みとおっているたとえ。「晴雲」は、晴れた空に浮かぶ雲、「秋月」は、秋の澄んだ空の月の意味。
8. 清風明月 せいふうめいげつ
明月と清らかな風の中の静かですがすがしいたたずまい。
9. 雪月風花 せつげつふうか
冬の雪、秋の月、夏の風、春の花ということから四季折々の自然の美しい景色のこと。また、それを鑑賞して、詩や歌を作ったりする風流な様子のこと。
10. 千紫万紅 せんしばんこう
色とりどりの花が咲き乱れるている情景。さまざまの色彩のこと。
11. 百花繚乱 ひゃかりょうらん
様々な種類の花が色とりどりにが咲き乱れること。たくさんの優秀な人物が一堂に会する状況。
12. 明鏡止水 めいきょうしすい
曇りの無い鏡と澄んだ水面のように、邪念がなく、安らかに落ち着いた心境のこと。
「明鏡」は一点の曇りもない鏡のこと。「止水」は水が止まって、静かにたたえていること。
13. 落花流水 らっかりゅうすい
落ちた花が水に従って流れるという意味で、過ぎ行く春の景色や物事の衰えゆくことのたとえ。時がむなしく過ぎ去るたとえ。男女の気持ちが互いに通じ合い、相思相愛の状態にあること。
14. 暮色蒼然 ぼしょくそうぜん
夕暮れになって、徐々にあたりが薄暗くなっていく様子。
「暮色」は夕暮れどきの薄暗い景色のこと。「蒼然」は日暮れどきの薄暗さのこと。
15. 高山流水 こうざんりゅうすい
高い山と流れる水。すぐれて巧みな音楽、絶妙な演奏のたとえ。けがれのない澄んだ自然のこと。
16. 脣星落落 しんせいらくらく
明け方の星が一つ一つ消えて行くように大切な物が一つ一つ消えて行く哀しさ。
17. 一片氷心 いっぺんのひょうしん
汚れなく、清らかで澄んだ美しい心のこと。
「一片」は、ひとかけら。「氷心」は、氷のように透明な心のこと。
18. 桜梅桃李
桜、梅、桃、李(すもも)のことで、それぞれが独自の能力の花を咲かせること。
19. 雲外蒼天 うんがいそうてん
試練を努力して乗り越えれば快い青空が望めるという意味。
20. 花天月地 かてんげっち
沢山の花が咲いている大地を月が明るく大地を照らす景色。
【blog】2023.02.17
祈冬
とても自分勝手な文章です。
何を書いても、そう感じる。
今の僕をよく表している気がする。
こんな赤裸々な自分を公開することに、意味があるのかわからない。
それでもやってみる。
誇りもプライドも捨てて、たった一つの大切な何かが、手元に残るのか知りたい。
/
思いやりを持った人間になりたい。
自分を脱却し、誰かを楽しませる人になりたい。
このLINEブログも6月にはサービスが終了されることが決まっている。
その先のことは決めていない。
こんなに好き勝手な表現をするのは、もうそろそろ最後かもしれないと思う。
思いやりに欠けるほど、僕が書きたいことを書き、
僕が読みたい詩を、読みたいように読む。
その難しさや責任に苦しみ、大切な生活を犠牲にするような表現は卒業すべきかもしれない。
一人黙々と、独りよがりな稽古をするのも、もう終わりだ。
今回の朗読は、観に来てくださった人々と、改めて繋がることができた朗読だった。その存在の大切さに深く気付かされ、感謝した。
僕が一人で完成させようとしていた表現は、決して一人じゃ完成しなかった。
共にステージにいる高井息吹さんの楽音に耳を澄ませ、僕らを見つめる一人一人の心にアクセスする。
その術を知るまでに、時間がかかってしまった。
僕が一人だったからだ。
/
独りよがりの文章も
「祈冬」も、もうすぐ終わる。
もうすぐ春が来る。
書きたいように、最後まで書きます。
今回の朗読で僕が読んだのは、
童話「雪渡り」と
「春と修羅」のなかにあるいくつかの心象スケッチだ。
宮沢賢治は自分の詩を、詩ではなく心象スケッチと呼んだ。
スケッチだからとても生々しい、その時の心が書かれている。
僕が読んだのは、宮沢賢治の妹のトシが亡くなった当日、その日に書かれた悲しみのスケッチだ。
そしてその翌年、花巻から北海道を旅した鉄道の中でトシを想いながら書いたスケッチだ。
/
宮沢賢治を読もうと決めたのは、2022年の11月末だった。後から知ったのだが、賢治の妹のトシが亡くなったのは1922年の11月27日だった。奇しくも、ちょうど百年の時が経っていた。
「百年待っていてください。きっと会いに来ますから」
いつかの朗読で読んだ夏目漱石の「夢十夜」において、死にゆく女が叫ぶ台詞だ。百年という言葉を聞くと、この台詞を思い出す。
宮沢賢治の言葉たちは、トシがかくれている雲の向こうの、天の青に向かって昇ってゆく。
もしくはそのさらに向こうの銀河まで。
亡くなった少年と、その友人は鉄道に乗って銀河を旅をした。
かなしみに満ちた世界を、美しく強さに変えてゆく。それが宮沢賢治の言葉だ。
/
一方僕は日々、言葉を失っている。
トルコとシリアで亡くなった人たちの数を思えば、その悲しみは想像力の外にある。
悲しみは海の向こう側だ。
最近友人に「お節介」と言われた。
雑誌かなんかに載っていた星占いに、
「お節介を、励ましや静かな祈りに変えて」
みたいなことが書かれていた。
励ましや、静かな祈りのいかに難しいことか。
でも、そんな人間になりたいな。
落ち込んでいる人がいたら
「大丈夫。君はめちゃくちゃ最高だ。今まで出会ったことないくらいイケてるよ」
と励まして抱きしめてあげたい。
苦しんでいる人がいたら、何もしてやることが出来なくても、静かに祈りたい。そうして自分の生活を明るく送りたい。
僕のお節介は、どうしたら助けてあげられるんだろうと、自分まで苦しんでしまうことだ。
おかげでずいぶんスマートじゃない生き方をしてきてしまった。
それに気づいたのが、最近だ。
僕はこれから変わっていってしまうかもしれない。
痛みに鈍感になるかもしれない。
人の弱さにも鈍感になるかもしれない。
そのことを、少し悲しく思う。
/
童話「雪渡り」は少年の四郎と妹のかん子の冒険物語だ。
この物語を読みながら、僕は少年に返った。
きっと心をシンクロして音楽を奏でていた高井息吹さんも童心に返っていたかもしれない。
青白い銀世界で歌い踊りながら、自分はこれからどんな人間になるんだろうと思った。
純真な心はどこまでも傷つきやすく、脆い。
悲しみに満ちた世界の暗闇と、少年と妹がキラキラの瞳で見つめた光明、その間に僕は立っていた。
/
なんかわからないけど。
負けたくないな。
なんかわからないけど。
負けてたまるか。
朝、目が覚める。
このまま眠っていたら本番は中止だろうな。
劇場に着く。
このまま逃げ出せばこの緊張から解放される。
幕が開き、舞台袖で出番が来る。
この足を進めなければ、朗読は始まらないんだ。
全ての自由が、全ての選択が、僕のこの足にある。
それでも僕は進んだ。進んでいった。
この反省も、恥も、友愛も、絶望も、希望も、暖かい拍手も、涙も、三日間で味わい尽くした。
/
たくさんの人と出会った。
花巻の人々、闘病中の大切な人、友達、家族や親戚。
この公演をやるために、宮沢賢治の言葉を考え続け、何日も何日も列車に乗って、旅をしながら、たくさんの人と出会った。
そうして劇場に辿り着いた。
劇場には友達であり企画者の八十嶋淳(ヤソシマジュン)がいて、高井息吹さんがいて、スタッフたちがいた。
そして観客のみんながいた。
たくさんの出会いだ。
/
もうすぐ、季節と朗読「祈冬」が終わる。
明日からの一週間、千秋楽公演の配信をもってして、僕の宮沢賢治との旅は終わる。
終わって、また始まる。
少しだけ、少しだけ、貴方の悲しみに触れた。
土沢駅。
銀河鉄道の始発駅のモデルになった列車に乗って、僕はこっそり泣いた。
この客車の窓が水族館の窓になって、
大きな水素のりんごの中をかけていって、
サザンクロスを目指して昇っていったんだ。
/
かなしみはちからに。
負けない。悲しみに負けるな。
勝たなくていい。負けるな。
悲しみは心にあっていい。
それを美しく強さに変えるんだ。
僕が物語を読むから。
明日読む物語があれば生きられる。
明日聴く物語があれば生きられる。
がんばろうよ。
君は最高だ。
最高にイケてる。
思慮深くて賢くて優しい人間だ。
部屋の片隅でスマホに文字を打ち込みながら、
僕は静かに祈っている。
この物語と、自分勝手な表現が、誰か一人の心に届きますように。
花巻で出会った七十七歳の伊藤諒子さんは、
僕のために、かつて宮沢賢治がいた川岸で、朗読をしてくれた。
僕の心はあのとき救われた。
役所の人に「宮沢賢治は古い」と言われて落ち込んでいた諒子さん。
「古くなんかないですよ。こんなに歳が離れて、遠くに住んでいる僕たちが賢治を通して出会ったんですよ。すごいことじゃないですか」
/
「朗読、緊張してるんですよね」
「なるようにしかならね。
努力した上で、なるようにしかならね。
みんなじゃなくて、
誰か一人でも感動してくれればいいんだから」
読み続ける。
下手くそでも。誰もいなくなってしまっても。
世界で戦争していても。海の向こうで悲しみが広がっても。
目の前のたった一人のために。
あの諒子さんの川岸に立つ凛とした姿と声を思い出して。
昨夜、配信の映像を見た。
高井息吹さんの歌う曲が、最後まで素晴らしかった。
こんなにまでも心がシンクロして、物語を歌い上げていたんだと改めて知った。
そして自分が高井さんの歌に、ピアノに、無意識のうちにどれだけ助けられていたかを知った。
高井息吹さん、音を捧げてくださって、ほんとうに、ありがとうございました。
/
ご来場いただいた皆さま、心から、ありがとうございました。
あの暖かい拍手を忘れません。
よければまたあの空間に会いに来てください。もっと成長します。
そして、まだ物語を届けることが出来ていない全国の皆さまも、「祈冬」をどうぞよろしくお願いします。
感想があれば、ぜひここに書き込んでください。
ブログのサービスが終了しても、いただいたコメントは保管したいです。
パーソナルBOOKもコツコツ執筆中です。
少しでも恩返しになればと、ひーひー言いながら書いています。
「祈冬」の配信は明日から一週間です。
寂しいとき、眠る前、料理を作りながら、ぜひ何度でも再生してお楽しみください。
https://t.cn/A69hgnp7
本日もおつかれさまでした。
最後まで読んでいただき、ありがとうございました。
2023年2月17日
藤原季節
写真:垂水佳菜
https://t.cn/A6C2nJb0
祈冬
とても自分勝手な文章です。
何を書いても、そう感じる。
今の僕をよく表している気がする。
こんな赤裸々な自分を公開することに、意味があるのかわからない。
それでもやってみる。
誇りもプライドも捨てて、たった一つの大切な何かが、手元に残るのか知りたい。
/
思いやりを持った人間になりたい。
自分を脱却し、誰かを楽しませる人になりたい。
このLINEブログも6月にはサービスが終了されることが決まっている。
その先のことは決めていない。
こんなに好き勝手な表現をするのは、もうそろそろ最後かもしれないと思う。
思いやりに欠けるほど、僕が書きたいことを書き、
僕が読みたい詩を、読みたいように読む。
その難しさや責任に苦しみ、大切な生活を犠牲にするような表現は卒業すべきかもしれない。
一人黙々と、独りよがりな稽古をするのも、もう終わりだ。
今回の朗読は、観に来てくださった人々と、改めて繋がることができた朗読だった。その存在の大切さに深く気付かされ、感謝した。
僕が一人で完成させようとしていた表現は、決して一人じゃ完成しなかった。
共にステージにいる高井息吹さんの楽音に耳を澄ませ、僕らを見つめる一人一人の心にアクセスする。
その術を知るまでに、時間がかかってしまった。
僕が一人だったからだ。
/
独りよがりの文章も
「祈冬」も、もうすぐ終わる。
もうすぐ春が来る。
書きたいように、最後まで書きます。
今回の朗読で僕が読んだのは、
童話「雪渡り」と
「春と修羅」のなかにあるいくつかの心象スケッチだ。
宮沢賢治は自分の詩を、詩ではなく心象スケッチと呼んだ。
スケッチだからとても生々しい、その時の心が書かれている。
僕が読んだのは、宮沢賢治の妹のトシが亡くなった当日、その日に書かれた悲しみのスケッチだ。
そしてその翌年、花巻から北海道を旅した鉄道の中でトシを想いながら書いたスケッチだ。
/
宮沢賢治を読もうと決めたのは、2022年の11月末だった。後から知ったのだが、賢治の妹のトシが亡くなったのは1922年の11月27日だった。奇しくも、ちょうど百年の時が経っていた。
「百年待っていてください。きっと会いに来ますから」
いつかの朗読で読んだ夏目漱石の「夢十夜」において、死にゆく女が叫ぶ台詞だ。百年という言葉を聞くと、この台詞を思い出す。
宮沢賢治の言葉たちは、トシがかくれている雲の向こうの、天の青に向かって昇ってゆく。
もしくはそのさらに向こうの銀河まで。
亡くなった少年と、その友人は鉄道に乗って銀河を旅をした。
かなしみに満ちた世界を、美しく強さに変えてゆく。それが宮沢賢治の言葉だ。
/
一方僕は日々、言葉を失っている。
トルコとシリアで亡くなった人たちの数を思えば、その悲しみは想像力の外にある。
悲しみは海の向こう側だ。
最近友人に「お節介」と言われた。
雑誌かなんかに載っていた星占いに、
「お節介を、励ましや静かな祈りに変えて」
みたいなことが書かれていた。
励ましや、静かな祈りのいかに難しいことか。
でも、そんな人間になりたいな。
落ち込んでいる人がいたら
「大丈夫。君はめちゃくちゃ最高だ。今まで出会ったことないくらいイケてるよ」
と励まして抱きしめてあげたい。
苦しんでいる人がいたら、何もしてやることが出来なくても、静かに祈りたい。そうして自分の生活を明るく送りたい。
僕のお節介は、どうしたら助けてあげられるんだろうと、自分まで苦しんでしまうことだ。
おかげでずいぶんスマートじゃない生き方をしてきてしまった。
それに気づいたのが、最近だ。
僕はこれから変わっていってしまうかもしれない。
痛みに鈍感になるかもしれない。
人の弱さにも鈍感になるかもしれない。
そのことを、少し悲しく思う。
/
童話「雪渡り」は少年の四郎と妹のかん子の冒険物語だ。
この物語を読みながら、僕は少年に返った。
きっと心をシンクロして音楽を奏でていた高井息吹さんも童心に返っていたかもしれない。
青白い銀世界で歌い踊りながら、自分はこれからどんな人間になるんだろうと思った。
純真な心はどこまでも傷つきやすく、脆い。
悲しみに満ちた世界の暗闇と、少年と妹がキラキラの瞳で見つめた光明、その間に僕は立っていた。
/
なんかわからないけど。
負けたくないな。
なんかわからないけど。
負けてたまるか。
朝、目が覚める。
このまま眠っていたら本番は中止だろうな。
劇場に着く。
このまま逃げ出せばこの緊張から解放される。
幕が開き、舞台袖で出番が来る。
この足を進めなければ、朗読は始まらないんだ。
全ての自由が、全ての選択が、僕のこの足にある。
それでも僕は進んだ。進んでいった。
この反省も、恥も、友愛も、絶望も、希望も、暖かい拍手も、涙も、三日間で味わい尽くした。
/
たくさんの人と出会った。
花巻の人々、闘病中の大切な人、友達、家族や親戚。
この公演をやるために、宮沢賢治の言葉を考え続け、何日も何日も列車に乗って、旅をしながら、たくさんの人と出会った。
そうして劇場に辿り着いた。
劇場には友達であり企画者の八十嶋淳(ヤソシマジュン)がいて、高井息吹さんがいて、スタッフたちがいた。
そして観客のみんながいた。
たくさんの出会いだ。
/
もうすぐ、季節と朗読「祈冬」が終わる。
明日からの一週間、千秋楽公演の配信をもってして、僕の宮沢賢治との旅は終わる。
終わって、また始まる。
少しだけ、少しだけ、貴方の悲しみに触れた。
土沢駅。
銀河鉄道の始発駅のモデルになった列車に乗って、僕はこっそり泣いた。
この客車の窓が水族館の窓になって、
大きな水素のりんごの中をかけていって、
サザンクロスを目指して昇っていったんだ。
/
かなしみはちからに。
負けない。悲しみに負けるな。
勝たなくていい。負けるな。
悲しみは心にあっていい。
それを美しく強さに変えるんだ。
僕が物語を読むから。
明日読む物語があれば生きられる。
明日聴く物語があれば生きられる。
がんばろうよ。
君は最高だ。
最高にイケてる。
思慮深くて賢くて優しい人間だ。
部屋の片隅でスマホに文字を打ち込みながら、
僕は静かに祈っている。
この物語と、自分勝手な表現が、誰か一人の心に届きますように。
花巻で出会った七十七歳の伊藤諒子さんは、
僕のために、かつて宮沢賢治がいた川岸で、朗読をしてくれた。
僕の心はあのとき救われた。
役所の人に「宮沢賢治は古い」と言われて落ち込んでいた諒子さん。
「古くなんかないですよ。こんなに歳が離れて、遠くに住んでいる僕たちが賢治を通して出会ったんですよ。すごいことじゃないですか」
/
「朗読、緊張してるんですよね」
「なるようにしかならね。
努力した上で、なるようにしかならね。
みんなじゃなくて、
誰か一人でも感動してくれればいいんだから」
読み続ける。
下手くそでも。誰もいなくなってしまっても。
世界で戦争していても。海の向こうで悲しみが広がっても。
目の前のたった一人のために。
あの諒子さんの川岸に立つ凛とした姿と声を思い出して。
昨夜、配信の映像を見た。
高井息吹さんの歌う曲が、最後まで素晴らしかった。
こんなにまでも心がシンクロして、物語を歌い上げていたんだと改めて知った。
そして自分が高井さんの歌に、ピアノに、無意識のうちにどれだけ助けられていたかを知った。
高井息吹さん、音を捧げてくださって、ほんとうに、ありがとうございました。
/
ご来場いただいた皆さま、心から、ありがとうございました。
あの暖かい拍手を忘れません。
よければまたあの空間に会いに来てください。もっと成長します。
そして、まだ物語を届けることが出来ていない全国の皆さまも、「祈冬」をどうぞよろしくお願いします。
感想があれば、ぜひここに書き込んでください。
ブログのサービスが終了しても、いただいたコメントは保管したいです。
パーソナルBOOKもコツコツ執筆中です。
少しでも恩返しになればと、ひーひー言いながら書いています。
「祈冬」の配信は明日から一週間です。
寂しいとき、眠る前、料理を作りながら、ぜひ何度でも再生してお楽しみください。
https://t.cn/A69hgnp7
本日もおつかれさまでした。
最後まで読んでいただき、ありがとうございました。
2023年2月17日
藤原季節
写真:垂水佳菜
https://t.cn/A6C2nJb0
每次都特别期待横川良明先生关于美彼的文章![心]
『美しい彼』萩原利久“平良”と八木勇征“清居”が夢見る永遠
2023.02.15
幸せを広辞苑で引いたら、「ひらきよが一緒にいること」と書いてあっても、どうか岩波書店はそのまま見なかったふりをして許してほしい。
なぜなら間違いではないからだ。
それくらいドラマイズム『美しい彼』(シーズン2)(MBS、毎週火曜24:59~/TBS、毎週火曜25:28~)は幸せの無限供給タイムになっている。
平良一成(萩原利久)、清居奏(八木勇征)
【動画】『美しい彼』料理をする清居(八木勇征)を撮影する平良(萩原利久)
シーズン1とはまた違う、優しい陽だまりのような世界
シーズン1の『美しい彼』は、支配と依存という、ある種の倒錯に似た、時に狂気すら帯びた世界が魅力だった。それは、これまで“優しい世界”で共感を巻き起こしてきた日本の実写BLドラマとはまったく毛色の違うもので、新たな地平を切り開いた。
その美しさで人を虜にしながらも、決して己の羽を休める花を見つけることのできなかった蝶と、人から蔑まれ続けながらも、安住の巣を張る優しい蜘蛛の物語。そんな平良一成(萩原利久)と清居奏(八木勇征)の関係に多くの人は夢中になった。
それがこのシーズン2ではどうだろう。シーズン1が宿していた残酷な潔癖さや眩い孤独は、まるで魔女の呪いが解けたように消えている。だからと言って、決して物語の強度は損なわれていない。
その代わりに、新たに天使が唱えたのは、不器用だけど一途で、がむしゃらゆえにいびつな愛の魔法。シーズン1の身を切るような気高い痛みとはまったく違う、優しい陽だまりに2人の世界は包まれていて。あの頃の、すべてを飲み込んでさらっていく大波の衝撃とはまた別の、穏やかな波のリズムにたゆたいながら、まるで夢を見るように平良と清居の世界に浸る。そんな悦びが、『美しい彼』(シーズン2)にはある。
水曜の朝、寝不足気味の人はほぼ『美しい彼』の住人です
今回は何と言っても、清居のつくった常夜鍋にすべてを持っていかれた。
エプロン姿も、日本酒をドバドバとブッこむ豪快さも、ほうれん草は洗わず根も丸ごと入れて、豚肉は丁寧に洗うトンチンカンっぷりも、すベてがいとおしい。清居がキャスティングされるべきは、舞台でもドラマでもなく、『愛のエプロン』だと思う。
平良が帰ってくるのが待ちきれなくてグルグルしている清居なんてシーズン1では考えられなかったし。あまりにミトンが似合いすぎて、このまま「すてきな奥さん」あたりの表紙を飾ってほしい。早く料理番組を持って、アサリの砂抜きとかエビのワタ取りとかに挑戦している姿を見せてほしい。
そして、そんな清居の決しておいしくはない料理を「神々の美酒の味だね」と崇める平良も含めてずっと見ていられるから、ディスカバリーチャンネルはそろそろ平良家に定点カメラを置いて、ただ2人の日常を流すだけの番組をつくったらいいと思う。そこそこのオタクが金を出します。
日本酒で酔っ払って、頬を真っ赤にして目を潤ませる清居の可愛さは、お姫様を超えて、もう赤ちゃん。こんなの深夜に流してどうする気だろう。睡眠時間を削らせる罠としか思えない。水曜の朝、寝不足気味の人がいたら、ほぼ『美しい彼』の住人だと見ていいと思う。
降りようとする清居と、上ろうとする平良に待つ未来
そんな致死量を遥かに上回る甘い毒薬を飲ませながら、きちんと平良と清居の心の揺れまで繊細に描いているところに、思わずひれ伏してしまう。
2人が望むものは、永遠だ。ただずっとこの人と一緒にいられたらいい。でも、永遠はありのままの自分じゃ掴めない。お互いが相手を思いやり、相手のために努力を重ね、もっと良い自分であろうとすることで、初めて永遠が生まれる。
清居が柄にもなく料理をつくったのも、生活の何もかもを平良に任せきっていることのバランスの悪さを小山和希(高野洸)に指摘されたからだった。
清居はずっと平良と恋人になりたかった。だけど、平良はいつまで経っても自分を恋人としては扱ってくれない。だから、自分からほんのちょっとでも恋人らしいことをすれば、平良も自分のことを恋人として見てくれるんじゃないかと思った。清居は神様でいたいわけじゃない。だから、清居の方から下界へ降りた。
一方、平良と言うと、清居が自分の世界に降りてくれるなんて発想は毛頭ない。そんなおこがましいこと、脳裏にかすめただけで、平良にとっては斬首刑だ。
じゃあ、どうすれば平良は清居といられるのか。答えは、平良の方から清居の世界へと上がっていくしかない。
自分を石コロだと思っている方がよっぽど楽だろう。石コロでいることに努力はいらない。平良と付き合いはじめて、どんどん変わっていく清居に対し、平良がほとんど変わらないのは、変わることを恐れているからだ。ずっと底辺にいた平良にとって変わることほど恐ろしいことはないのだろう。
それが、清居の言葉で変わろうとしはじめる。才能がないと評価されることが怖くて逃げ続けていたカメラの世界に本気で向き合おうとする。臆病な平良が初めて振り絞った勇気は、やっぱり清居のためだった。
変わらない永遠を手に入れるために、変わろうとする平良。誰も見向きもしなかった、清居だけが見つけた石コロが、今、原石として光を放とうとしている。
『美しい彼』萩原利久“平良”と八木勇征“清居”が夢見る永遠
2023.02.15
幸せを広辞苑で引いたら、「ひらきよが一緒にいること」と書いてあっても、どうか岩波書店はそのまま見なかったふりをして許してほしい。
なぜなら間違いではないからだ。
それくらいドラマイズム『美しい彼』(シーズン2)(MBS、毎週火曜24:59~/TBS、毎週火曜25:28~)は幸せの無限供給タイムになっている。
平良一成(萩原利久)、清居奏(八木勇征)
【動画】『美しい彼』料理をする清居(八木勇征)を撮影する平良(萩原利久)
シーズン1とはまた違う、優しい陽だまりのような世界
シーズン1の『美しい彼』は、支配と依存という、ある種の倒錯に似た、時に狂気すら帯びた世界が魅力だった。それは、これまで“優しい世界”で共感を巻き起こしてきた日本の実写BLドラマとはまったく毛色の違うもので、新たな地平を切り開いた。
その美しさで人を虜にしながらも、決して己の羽を休める花を見つけることのできなかった蝶と、人から蔑まれ続けながらも、安住の巣を張る優しい蜘蛛の物語。そんな平良一成(萩原利久)と清居奏(八木勇征)の関係に多くの人は夢中になった。
それがこのシーズン2ではどうだろう。シーズン1が宿していた残酷な潔癖さや眩い孤独は、まるで魔女の呪いが解けたように消えている。だからと言って、決して物語の強度は損なわれていない。
その代わりに、新たに天使が唱えたのは、不器用だけど一途で、がむしゃらゆえにいびつな愛の魔法。シーズン1の身を切るような気高い痛みとはまったく違う、優しい陽だまりに2人の世界は包まれていて。あの頃の、すべてを飲み込んでさらっていく大波の衝撃とはまた別の、穏やかな波のリズムにたゆたいながら、まるで夢を見るように平良と清居の世界に浸る。そんな悦びが、『美しい彼』(シーズン2)にはある。
水曜の朝、寝不足気味の人はほぼ『美しい彼』の住人です
今回は何と言っても、清居のつくった常夜鍋にすべてを持っていかれた。
エプロン姿も、日本酒をドバドバとブッこむ豪快さも、ほうれん草は洗わず根も丸ごと入れて、豚肉は丁寧に洗うトンチンカンっぷりも、すベてがいとおしい。清居がキャスティングされるべきは、舞台でもドラマでもなく、『愛のエプロン』だと思う。
平良が帰ってくるのが待ちきれなくてグルグルしている清居なんてシーズン1では考えられなかったし。あまりにミトンが似合いすぎて、このまま「すてきな奥さん」あたりの表紙を飾ってほしい。早く料理番組を持って、アサリの砂抜きとかエビのワタ取りとかに挑戦している姿を見せてほしい。
そして、そんな清居の決しておいしくはない料理を「神々の美酒の味だね」と崇める平良も含めてずっと見ていられるから、ディスカバリーチャンネルはそろそろ平良家に定点カメラを置いて、ただ2人の日常を流すだけの番組をつくったらいいと思う。そこそこのオタクが金を出します。
日本酒で酔っ払って、頬を真っ赤にして目を潤ませる清居の可愛さは、お姫様を超えて、もう赤ちゃん。こんなの深夜に流してどうする気だろう。睡眠時間を削らせる罠としか思えない。水曜の朝、寝不足気味の人がいたら、ほぼ『美しい彼』の住人だと見ていいと思う。
降りようとする清居と、上ろうとする平良に待つ未来
そんな致死量を遥かに上回る甘い毒薬を飲ませながら、きちんと平良と清居の心の揺れまで繊細に描いているところに、思わずひれ伏してしまう。
2人が望むものは、永遠だ。ただずっとこの人と一緒にいられたらいい。でも、永遠はありのままの自分じゃ掴めない。お互いが相手を思いやり、相手のために努力を重ね、もっと良い自分であろうとすることで、初めて永遠が生まれる。
清居が柄にもなく料理をつくったのも、生活の何もかもを平良に任せきっていることのバランスの悪さを小山和希(高野洸)に指摘されたからだった。
清居はずっと平良と恋人になりたかった。だけど、平良はいつまで経っても自分を恋人としては扱ってくれない。だから、自分からほんのちょっとでも恋人らしいことをすれば、平良も自分のことを恋人として見てくれるんじゃないかと思った。清居は神様でいたいわけじゃない。だから、清居の方から下界へ降りた。
一方、平良と言うと、清居が自分の世界に降りてくれるなんて発想は毛頭ない。そんなおこがましいこと、脳裏にかすめただけで、平良にとっては斬首刑だ。
じゃあ、どうすれば平良は清居といられるのか。答えは、平良の方から清居の世界へと上がっていくしかない。
自分を石コロだと思っている方がよっぽど楽だろう。石コロでいることに努力はいらない。平良と付き合いはじめて、どんどん変わっていく清居に対し、平良がほとんど変わらないのは、変わることを恐れているからだ。ずっと底辺にいた平良にとって変わることほど恐ろしいことはないのだろう。
それが、清居の言葉で変わろうとしはじめる。才能がないと評価されることが怖くて逃げ続けていたカメラの世界に本気で向き合おうとする。臆病な平良が初めて振り絞った勇気は、やっぱり清居のためだった。
変わらない永遠を手に入れるために、変わろうとする平良。誰も見向きもしなかった、清居だけが見つけた石コロが、今、原石として光を放とうとしている。
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