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Le.Chocolat 広報担当 氏 2005.06.23
FlyingShineさんのオフィスには猫がいるが、僕の家にも猫がいる。雪の舞い落ちる夜に震えているのを拾ってきたヤツだ。名前をつける気はなかった。ケダモノごときに固有名詞など要らぬと、そのまま無名で通したかったのだ。しかし、拾ってきた早々その猫は死にかけて、獣医に診せねばならなくなった。そして動物病院に行ったならば、識別のために書類に名前を書かねばならぬ。そこで僕は泣く泣く「ネコ」と名付けた。
さてこの「ネコ」、とにかく体が悪い。幼いころに喰ったモノがわるいのか、奥歯は腐ってなくなっている。前述したとおり、来た早々死にかけたのだが、これは尿管結石と診断された。大手術を行って一命をとりとめたのだが、その際に、今度このような大きな手術をするはめになったら死ぬと言われてしまった。しかも尿管結石という病気は再発の可能性も大きいのだそうだ。いつ死ぬかわからない。まさに風前の灯火。
それなら短い一生を楽しく過ごして貰いたいところだが、結石のために食事は制限されているし、そもそもこの猫は肉やら魚やらをやっても臭いを嗅いだだけで逃げてしまって、食べようとはしない。ドライフードと水しか口にせず、ミルクを与えるとやはり逃げる。どうして逃げるのだろう。頭がおかしいのだと思う。じゃあ他に何か楽しみはないのかと言ったら、すぐ思いつくのはセックスの快楽だが、ネコは去勢をされているためそれも叶わない。これじゃあ子孫さえ残せない。何のために生きているのだろう。
本人はそれでいいのかもしれないが、周りとしては些か不満である。こいつの一生に何か良いところを探そうと、そうだ、芸術に昇華できまいか。せめて美人薄命と言えるのなら絵にもなるのかもしれない。しかしこんなに愛嬌のない顔つきの猫は、世間にもあまりいない現実。美しくさえ、ない。
まったく、お前は可哀想なやつだなあと手を差し出せば、何を勘違いしたのか噛みついてくる。噛み癖のある猫なのだ。スキンシップもはかれない。
この滑稽とも悲惨とも何とも形容しがたい猫が、仕事で家に引きこもる僕の唯一のパートナーなのである。
僕は開発期間中、一日のほとんどを自宅で過ごす。数日太陽を見ないとか、人と会話をしていないとかはザラだ。部屋の電灯さえつけないことが多いから、暗闇の中じっと液晶ディスプレイに映ったテキストファイルを眺めて一日を過ごす。
音のない漆黒のなかにずっと居ると、やがて体が空気に溶けてしまったような気分になるものだ。それに構わず作業を続けると、そのうち自分は本当に実存を持つ人間なのだろうかと不安になってくる。徐々にアイデンティティが崩壊してゆくのが実感できる。自分がいなくなるような感覚。疲れもなにも感じなくなるので、仕事にとって都合が良いが、あんまりこのままにしてると発狂するような感じがしないこともない。気は進まないが、とりあえず、自分が居るのかどうか、一人喋って確かめてみる。
一応喉は震えるし、自分の耳には音が聞こえるようだ。しかし油断してはいけない。これは本当に他人にも聞こえる現実的な音なのかも、確かめねばならない。
僕は猫のいる部屋に行ってその名を呼ぶ。すると、彼の耳がぴくりと動くので、ああこれはまともな音なんだと安心する、のなら良いのだが、残念なことにそうはいかない。まだ信じられない。僕はすっかり懐疑的になっているのだ。
猫は暗闇のなかであくびをする。眠そうな目が黄色く光る。瞳が気持ちが悪い。こいつこそ僕の妄想が作り出した幻覚なんじゃないだろうかと疑いたくてしかたなくなる。だいたい、不治の病を背負った上に煩悩を捨て去ったこの若猫の姿は、よく考えればいかにも浮世離れしていて、かえって現実感がない。世の中に、魚をやってもいやがる猫なんか本当にいるのだろうか?僕も時々偏食になっておかゆとミネラルウォーターしか口にしないときがあるのだが、そういった極端な状態の僕の心理的な何かが投影されたまぼろしなのかもしれない。あまりに似通いすぎているのだ。この猫と僕は。
しかし見えたものを疑っても仕方ない。最低限自分の見えてるものや耳にしたものを信用しなければ自分の外側の世界に対して、とっかかりと言うものが何もなくなってしまう。気が狂ってしまう。この猫はきっといるんだ。存在するんだ。そう思いこむことにしよう。
せめて、もうちょっと普通の猫を飼えば良かったなと溜息をつきながら手を伸ばすと、やはり噛まれる。血の出る傷口から、ネコの口臭が立ちのぼる。
そんな僕の仕事場に、雨の夜、人が訪れた。インターホンが鳴り、続けてドアが叩かれる。とんとんとん。それほど強い力ではない。
ドアをあけるとそこに立っていたのは、去年まで付き合っていた女性だった。濡れた髪の毛にはあの頃はなかった緩やかなウェーブがかかっている。大きな目でじっと僕を見つめている。一体、突然、どうしてここに。
尋ねたかったが言葉が出ない。逡巡するうちに、視線が思いがけなくぶつかりあって、気まずく視線を落としたら、サンダルから覗く足指が泥で汚れている。
「このままじゃ風邪をひくよね」
僕はそう言って、逃げるように引っ込んだ。部屋にタオルを取りに帰ると、ついでに眠そうにしていたネコの首を噛まれないように素早くひっつかんだ。彼女と一対一で向かい合うのはなんだか怖い。
玄関に戻ると、彼女はかまちに腰を下ろして背筋をぴんと伸ばし、白いあごをやや上に傾けて雨の窓を眺めている。
首が折れそうなほど細い。僕は緊張しながらタオルを渡す。
それからネコを見せてやろうとしたのだけど、ネコは嫌がってにゃあと一声、それから僕の手を振りほどいて飛び出してしまう。
そのまま足音を立てて廊下の暗闇に消えてゆく。
ネコを追いかけようと腰を浮かす僕を、彼女が後ろから呼び止めた。
「でも……」
戸惑う僕に、うっすら微笑みながら彼女はこう言った。
「『SWAN SONG』、もうすぐ発売だよ。面白いから買ってね」
Le.Chocolat 広報担当 氏
Le.Chocolat 広報担当 氏 2005.06.23
FlyingShineさんのオフィスには猫がいるが、僕の家にも猫がいる。雪の舞い落ちる夜に震えているのを拾ってきたヤツだ。名前をつける気はなかった。ケダモノごときに固有名詞など要らぬと、そのまま無名で通したかったのだ。しかし、拾ってきた早々その猫は死にかけて、獣医に診せねばならなくなった。そして動物病院に行ったならば、識別のために書類に名前を書かねばならぬ。そこで僕は泣く泣く「ネコ」と名付けた。
さてこの「ネコ」、とにかく体が悪い。幼いころに喰ったモノがわるいのか、奥歯は腐ってなくなっている。前述したとおり、来た早々死にかけたのだが、これは尿管結石と診断された。大手術を行って一命をとりとめたのだが、その際に、今度このような大きな手術をするはめになったら死ぬと言われてしまった。しかも尿管結石という病気は再発の可能性も大きいのだそうだ。いつ死ぬかわからない。まさに風前の灯火。
それなら短い一生を楽しく過ごして貰いたいところだが、結石のために食事は制限されているし、そもそもこの猫は肉やら魚やらをやっても臭いを嗅いだだけで逃げてしまって、食べようとはしない。ドライフードと水しか口にせず、ミルクを与えるとやはり逃げる。どうして逃げるのだろう。頭がおかしいのだと思う。じゃあ他に何か楽しみはないのかと言ったら、すぐ思いつくのはセックスの快楽だが、ネコは去勢をされているためそれも叶わない。これじゃあ子孫さえ残せない。何のために生きているのだろう。
本人はそれでいいのかもしれないが、周りとしては些か不満である。こいつの一生に何か良いところを探そうと、そうだ、芸術に昇華できまいか。せめて美人薄命と言えるのなら絵にもなるのかもしれない。しかしこんなに愛嬌のない顔つきの猫は、世間にもあまりいない現実。美しくさえ、ない。
まったく、お前は可哀想なやつだなあと手を差し出せば、何を勘違いしたのか噛みついてくる。噛み癖のある猫なのだ。スキンシップもはかれない。
この滑稽とも悲惨とも何とも形容しがたい猫が、仕事で家に引きこもる僕の唯一のパートナーなのである。
僕は開発期間中、一日のほとんどを自宅で過ごす。数日太陽を見ないとか、人と会話をしていないとかはザラだ。部屋の電灯さえつけないことが多いから、暗闇の中じっと液晶ディスプレイに映ったテキストファイルを眺めて一日を過ごす。
音のない漆黒のなかにずっと居ると、やがて体が空気に溶けてしまったような気分になるものだ。それに構わず作業を続けると、そのうち自分は本当に実存を持つ人間なのだろうかと不安になってくる。徐々にアイデンティティが崩壊してゆくのが実感できる。自分がいなくなるような感覚。疲れもなにも感じなくなるので、仕事にとって都合が良いが、あんまりこのままにしてると発狂するような感じがしないこともない。気は進まないが、とりあえず、自分が居るのかどうか、一人喋って確かめてみる。
一応喉は震えるし、自分の耳には音が聞こえるようだ。しかし油断してはいけない。これは本当に他人にも聞こえる現実的な音なのかも、確かめねばならない。
僕は猫のいる部屋に行ってその名を呼ぶ。すると、彼の耳がぴくりと動くので、ああこれはまともな音なんだと安心する、のなら良いのだが、残念なことにそうはいかない。まだ信じられない。僕はすっかり懐疑的になっているのだ。
猫は暗闇のなかであくびをする。眠そうな目が黄色く光る。瞳が気持ちが悪い。こいつこそ僕の妄想が作り出した幻覚なんじゃないだろうかと疑いたくてしかたなくなる。だいたい、不治の病を背負った上に煩悩を捨て去ったこの若猫の姿は、よく考えればいかにも浮世離れしていて、かえって現実感がない。世の中に、魚をやってもいやがる猫なんか本当にいるのだろうか?僕も時々偏食になっておかゆとミネラルウォーターしか口にしないときがあるのだが、そういった極端な状態の僕の心理的な何かが投影されたまぼろしなのかもしれない。あまりに似通いすぎているのだ。この猫と僕は。
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