アインシュタインの脳を盗み、「天才」の秘密を知ろうとした男の奇妙な悲劇
10/14(土) 16:30配信
遺体を研究に使わないよう指示していた稀代の天才はすべてを見抜いていた
ノーベル物理学賞を受賞し、人類に相対性理論とE=mc2(エネルギーと質量は等価である)の公式、光電効果の法則をもたらしたアルベルト・アインシュタインが、特別な頭脳を持っていたことは確かだ。あまりに特別だったため、1955年4月18日にプリンストン病院で亡くなったとき、勤務していた病理学者のトーマス・ハービーは、アインシュタインの脳を盗み出してしまった。
ギャラリー:アインシュタインの脳の切片ほか、天才の条件を探る 写真11点
アインシュタインは、個人崇拝されることを嫌い、自分の脳も体も、研究に使われることを希望していなかった。ブライアン・ビュレル氏は、2005年に著書『Postcards from the Brain Museum(脳博物館からの葉書)』のなかで次のように述べている。「アインシュタインは、死後の遺体の扱いについて細かい指示を出していた。崇拝者が現れないように、火葬して秘密裏に散灰するよう言い残していたのだ」
ところがハービーは、本人や遺族の同意なしに脳を持ち去った。「数日後に事実が明るみに出ると、すべては科学の発展のためというもっともらしい説明をつけて、乗り気でなかったアインシュタインの息子のハンス・アルベルトを説得し、後付けで同意を取り付けた」という。
間もなくプリンストン病院での職を失ったハービーは、アインシュタインの脳をフィラデルフィアへ運び、そこで240個に切り分け、「セロイジン包埋」という方法で保存した。そして、それらを2つの瓶に詰め、自宅の地下室に保管した。
ここから、物語はますます奇妙な展開を見せると、ビュレル氏は言う。
医師の資格を失うも論文を発表
妻から脳を捨てると脅されたハービーは、帰宅するとそれを回収し、新しい勤務先があるカンザス州ウィチタに運んだ。そこで生物検査研究所の医療監督者に就任し、脳が入った瓶はサイダーの箱に入れてビール用クーラーボックスの下にしまい込んだ。
その後また引っ越してミズーリ州ウェストンにやってくると、医者をしながら暇な時間に脳の研究をしようとしたが、1988年、3日間におよぶ能力試験に不合格となり、医師の資格を失った。
そこで今度はカンザス州ローレンスに移り住み、プラスチック工場で組み立てラインの仕事に就いた。
ガソリンスタンドの横にあるアパートの2階の部屋に入居したハービーは、近くに住むビート・ジェネレーションの詩人のウィリアム・バロウズと親しくなった。2人はしばしば、バロウズの家のポーチに座って酒を飲み、ハービーはアインシュタインの脳を細かく切り分けて世界中の研究者に送ったという話を語って聞かせた。バロウズは訪れた人たちによく、自分が望むならいつでもアインシュタインの一部を手に入れることができると自慢げに話していたという。
1985年、ハービーとカリフォルニアの共同研究者は、学術誌「Experimental Neurology」に、アインシュタインの脳に関する最初の研究論文を発表。アインシュタインの脳のニューロンとグリアという2種類の細胞の比率が異常であったと主張した。
その後さらに5本の論文が発表され、ほかにも個別の細胞や特定の構造に違いが見つかったと報告された。これらの論文に関わった研究者らは、アインシュタインの脳を研究すれば、知能に関する神経学的基盤を明らかにできるのではと考えていた。
しかし、そのような前提はナンセンスであり、研究もたわごとだ。少なくとも、米ペース大学の心理学教授であるテレンス・ハインズ氏はそう考えている。
2014年、ハインズ氏は認知神経科学会の年次総会に行って、6つの研究に関してそれぞれどこに欠陥があるのかをすべて列挙したポスターを発表した。ここでは、その一部を紹介する。
研究手法への疑問、批判続々
1985年に発表された最初の論文では、ブロードマン脳地図の39野(側頭葉、頭頂葉、後頭葉が接する部分)で、アインシュタインのニューロンとグリアの比率が11人の対照群の同じ領域と比べてはるかに小さい(つまりグリア細胞が多い)ことが明らかになったと、ハービーらは報告した。
しかし、アインシュタインの死亡時の年齢が76歳であったのに対し、対照群の年齢は47歳から80歳までと幅があり、厳密に管理されたグループとは言えなかった。また、対照群の脳は新しかったが、アインシュタインの脳は30年もの間、民家の地下室やクーラーボックスの下で眠っていた。
そしておそらく何よりも問題だったのは、主観的な作業であるにもかかわらず、細胞の数を数える研究者が盲検化されていなかった点だ。すなわち、研究者はどれがアインシュタインの細胞で、どれがそうでない細胞かを承知しながら数えていた。
1996年、ハービーはアラバマ州の科学者と協力して、アインシュタインと5人の対照群の前頭葉の一部であるブロードマン脳地図9野のニューロンを数えた。ニューロンの数と大きさに違いはみられなかったが、アインシュタインの組織は対照群のものよりも薄かった。つまり、薄い組織のなかにニューロンがそれだけ高密度で詰まっていたとすれば、細胞と細胞の間をメッセージが伝達される距離が短くなり、全体的に処理速度が上がるだろうと、論文を発表したハービーらは考えた。
しかし、ハインズ氏はこじつけだと指摘する。この研究は、脳のわずか1平方ミリメートルを分析した結果だけに基づいている。さらに研究者らは、アインシュタインの脳と対照群の脳の類似点について何も触れなかったことを認めている。
1999年、ハービーとカナダの共同研究者はついに、世界的権威である医学誌「The Lancet」に論文を発表する。アインシュタインの脳が切り分けられる前の古い写真を基に、ハービーらは頭頂葉の一部が普通ではないしわの寄り方をしていると主張した。
この領域は、数学的能力に関連付けられている部分だ。また、アインシュタインの頭頂葉は対照群のものよりも15%広く、より左右対称的だったとも報告している。
しかしこの時も、研究者たちはどちらの写真がアインシュタインの脳であるかを知りながら分析を行っていた。しかも、論文はこれらの違いとされる部分をすぐにアインシュタインの数学的才能と結び付けたが、実はアインシュタインは特に数学に秀でていたわけではないと、ハインズ氏は指摘する。
茶番を予見していたアインシュタイン
天才の背中をむなしく追いかけ続けたこの悲劇の根本的な問題は、どこにあるのだろうか。それは、たった1人からなる「天才」を、「その人ではない人たち」というあいまいな定義で集められた対照群と比較しようとした点だ。
研究対象が1人の場合、統計的なばらつきを計算することが極めて難しい。例えば、アインシュタインのニューロンとグリアの比率が低かったのは、たまたま分析した領域がそうだったとか、特定の方法で分析したらそうなったのではなく、「天才」における事実であるということを、1つの例だけをもってどうしたら証明できるのか。
たとえ統計的に正しかったとしても、能力や行動を体の構造に関連付けることの問題が残る。アインシュタインの脳にXという何かがあったとして、そのXがアインシュタインを賢くしたのか、失読症にしたのか、はたまた数学を得意にさせたのか、それともただアインシュタインの脳にXというものが存在しているだけなのかを知るすべはない。
アインシュタインはこの点でも賢かった。彼は、自分に対する世間の執着心、有名人や特異性に対する人間の執着心を理解していた。機会さえ与えられれば、科学者たちは自分の脳に飛びつき、ニューロンやグリア、脳溝や脳のしわを細かく調べ上げ、天才を作り上げるものとは何かに関して大々的な発表をするだろうことを予見していた。そして、それがどんなにばかげたものになるかも理解していた。
本当のところはわからないが、アインシュタインは生前、プリンストン高等研究所のオフィスの黒板に次のような言葉を書いたとも言われている。「重要なことが全て数値化できるわけではなく、数値化できる全てのことが重要であるわけでもない」
文=VIRGINIA HUGHES/訳=荒井ハンナ
10/14(土) 16:30配信
遺体を研究に使わないよう指示していた稀代の天才はすべてを見抜いていた
ノーベル物理学賞を受賞し、人類に相対性理論とE=mc2(エネルギーと質量は等価である)の公式、光電効果の法則をもたらしたアルベルト・アインシュタインが、特別な頭脳を持っていたことは確かだ。あまりに特別だったため、1955年4月18日にプリンストン病院で亡くなったとき、勤務していた病理学者のトーマス・ハービーは、アインシュタインの脳を盗み出してしまった。
ギャラリー:アインシュタインの脳の切片ほか、天才の条件を探る 写真11点
アインシュタインは、個人崇拝されることを嫌い、自分の脳も体も、研究に使われることを希望していなかった。ブライアン・ビュレル氏は、2005年に著書『Postcards from the Brain Museum(脳博物館からの葉書)』のなかで次のように述べている。「アインシュタインは、死後の遺体の扱いについて細かい指示を出していた。崇拝者が現れないように、火葬して秘密裏に散灰するよう言い残していたのだ」
ところがハービーは、本人や遺族の同意なしに脳を持ち去った。「数日後に事実が明るみに出ると、すべては科学の発展のためというもっともらしい説明をつけて、乗り気でなかったアインシュタインの息子のハンス・アルベルトを説得し、後付けで同意を取り付けた」という。
間もなくプリンストン病院での職を失ったハービーは、アインシュタインの脳をフィラデルフィアへ運び、そこで240個に切り分け、「セロイジン包埋」という方法で保存した。そして、それらを2つの瓶に詰め、自宅の地下室に保管した。
ここから、物語はますます奇妙な展開を見せると、ビュレル氏は言う。
医師の資格を失うも論文を発表
妻から脳を捨てると脅されたハービーは、帰宅するとそれを回収し、新しい勤務先があるカンザス州ウィチタに運んだ。そこで生物検査研究所の医療監督者に就任し、脳が入った瓶はサイダーの箱に入れてビール用クーラーボックスの下にしまい込んだ。
その後また引っ越してミズーリ州ウェストンにやってくると、医者をしながら暇な時間に脳の研究をしようとしたが、1988年、3日間におよぶ能力試験に不合格となり、医師の資格を失った。
そこで今度はカンザス州ローレンスに移り住み、プラスチック工場で組み立てラインの仕事に就いた。
ガソリンスタンドの横にあるアパートの2階の部屋に入居したハービーは、近くに住むビート・ジェネレーションの詩人のウィリアム・バロウズと親しくなった。2人はしばしば、バロウズの家のポーチに座って酒を飲み、ハービーはアインシュタインの脳を細かく切り分けて世界中の研究者に送ったという話を語って聞かせた。バロウズは訪れた人たちによく、自分が望むならいつでもアインシュタインの一部を手に入れることができると自慢げに話していたという。
1985年、ハービーとカリフォルニアの共同研究者は、学術誌「Experimental Neurology」に、アインシュタインの脳に関する最初の研究論文を発表。アインシュタインの脳のニューロンとグリアという2種類の細胞の比率が異常であったと主張した。
その後さらに5本の論文が発表され、ほかにも個別の細胞や特定の構造に違いが見つかったと報告された。これらの論文に関わった研究者らは、アインシュタインの脳を研究すれば、知能に関する神経学的基盤を明らかにできるのではと考えていた。
しかし、そのような前提はナンセンスであり、研究もたわごとだ。少なくとも、米ペース大学の心理学教授であるテレンス・ハインズ氏はそう考えている。
2014年、ハインズ氏は認知神経科学会の年次総会に行って、6つの研究に関してそれぞれどこに欠陥があるのかをすべて列挙したポスターを発表した。ここでは、その一部を紹介する。
研究手法への疑問、批判続々
1985年に発表された最初の論文では、ブロードマン脳地図の39野(側頭葉、頭頂葉、後頭葉が接する部分)で、アインシュタインのニューロンとグリアの比率が11人の対照群の同じ領域と比べてはるかに小さい(つまりグリア細胞が多い)ことが明らかになったと、ハービーらは報告した。
しかし、アインシュタインの死亡時の年齢が76歳であったのに対し、対照群の年齢は47歳から80歳までと幅があり、厳密に管理されたグループとは言えなかった。また、対照群の脳は新しかったが、アインシュタインの脳は30年もの間、民家の地下室やクーラーボックスの下で眠っていた。
そしておそらく何よりも問題だったのは、主観的な作業であるにもかかわらず、細胞の数を数える研究者が盲検化されていなかった点だ。すなわち、研究者はどれがアインシュタインの細胞で、どれがそうでない細胞かを承知しながら数えていた。
1996年、ハービーはアラバマ州の科学者と協力して、アインシュタインと5人の対照群の前頭葉の一部であるブロードマン脳地図9野のニューロンを数えた。ニューロンの数と大きさに違いはみられなかったが、アインシュタインの組織は対照群のものよりも薄かった。つまり、薄い組織のなかにニューロンがそれだけ高密度で詰まっていたとすれば、細胞と細胞の間をメッセージが伝達される距離が短くなり、全体的に処理速度が上がるだろうと、論文を発表したハービーらは考えた。
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文=VIRGINIA HUGHES/訳=荒井ハンナ
#阿久根温世[超话]#
231015 官推更新
⋱ありがとうございました⋰
本日は #ICEx 2ndシングル『シブヤ 午後6時』のリリースイベント@ららぽーと名古屋みなとアルクスでした!
ナゴヤで初めてシブロクをお届けしましたアリーナも2階席のみんなも盛り上がってくれてありがとう
今度は世梛も一緒に8人でまた会いにいきます!ICExシブ6
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