「悲録伝」(一共十章)。0部分。
第1話「ついに集った仲間! 八人の魔法少女」
Q:ある道で、たくさんの人が歩いている中、一人だけ傘をさしている人がしました。なぜでしょう?
A:雨が降っていたから。
(问:在某条街道上,有很多人走着,只有一个人撑着伞。为什么呢?答:因为下雨了。)
第2話「魔女の正体! 昔々の戦争」
失敗は忘れら、繰り返される。
成功は忘れら、二度と起こらない。
(失败被忘却之后,往往会重蹈覆辙。成功被忘却之后,却不会再度发生。)
第3話「編み出せ、攻略法! 四国ゲームの抜け穴」
夢を追うことは、夢を背負うことである。
夢は思いで、当然、重い。
(追逐梦想,其实就是背负梦想。梦想既是思念,当然,会很沉重。注:这条用了文字游戏,“追う(おう)”和“背負う(せおう)”,还有“思い(おもい)”和“重い(おもい)”。)
第4話「爆弾発言! 人造人間『悲恋』の秘密」
僕たちは偉人伝を読んで、『ろくでなしでも、運が良ければひとがどの人物になれる』ことを学ぶ。
(我们通过读伟人传记,学到了『即使是无用之人,如果运气好的话也能成为某个伟人』这件事。)
第5話「それぞれの夜! 対決前の対話」
今の子供達に必要なものは、努力と、諦めない心と、その他と、その他と、その他と、その他とその他とその他とその他とその他とその他とその他とその他とその他だ。
(现在的孩子们所必须要的,是努力,不放弃的心,以及其他的,其他,其他,以及其他其他其他其他其他其他其他其他其他。)
第6話「変わる風向き! 難航する交渉術」
勘より感覚のほうが当てになる。
(比起直觉,感觉更加的可靠。)
第7話「緑を大切に! 子供の心に木を植えよう」
雑草という草はないーーって言うけれど、じゃああなたは雑草の名をどれだけ知ってるの?
(没有叫做杂草的草——虽然你这么说,但是你又知道多少种杂草的名字呢?)
第8話「土の中で眠れ! 壊れゆく島々」
被害者という下積み時代を経て、僕たちは花形の加害者になる。
(经历了被人踩在脚下的被害者的时代,我们成为了备受瞩目的加害者。)
第9話「一番最初の魔法少女! 回る駱駝の前衛芸術」
終わりが見えたとき、それは終わっている。
(当看到终结的时候,那就已经终结了。)
第10話「少女から女へ、そして人へ! 四国ゲームの終わり」
終わりよければすべてよし。
つまり終わりが悪ければーー
(结局好则一切都好。也就是说如果结局不好的话——)
第1話「ついに集った仲間! 八人の魔法少女」
Q:ある道で、たくさんの人が歩いている中、一人だけ傘をさしている人がしました。なぜでしょう?
A:雨が降っていたから。
(问:在某条街道上,有很多人走着,只有一个人撑着伞。为什么呢?答:因为下雨了。)
第2話「魔女の正体! 昔々の戦争」
失敗は忘れら、繰り返される。
成功は忘れら、二度と起こらない。
(失败被忘却之后,往往会重蹈覆辙。成功被忘却之后,却不会再度发生。)
第3話「編み出せ、攻略法! 四国ゲームの抜け穴」
夢を追うことは、夢を背負うことである。
夢は思いで、当然、重い。
(追逐梦想,其实就是背负梦想。梦想既是思念,当然,会很沉重。注:这条用了文字游戏,“追う(おう)”和“背負う(せおう)”,还有“思い(おもい)”和“重い(おもい)”。)
第4話「爆弾発言! 人造人間『悲恋』の秘密」
僕たちは偉人伝を読んで、『ろくでなしでも、運が良ければひとがどの人物になれる』ことを学ぶ。
(我们通过读伟人传记,学到了『即使是无用之人,如果运气好的话也能成为某个伟人』这件事。)
第5話「それぞれの夜! 対決前の対話」
今の子供達に必要なものは、努力と、諦めない心と、その他と、その他と、その他と、その他とその他とその他とその他とその他とその他とその他とその他とその他だ。
(现在的孩子们所必须要的,是努力,不放弃的心,以及其他的,其他,其他,以及其他其他其他其他其他其他其他其他其他。)
第6話「変わる風向き! 難航する交渉術」
勘より感覚のほうが当てになる。
(比起直觉,感觉更加的可靠。)
第7話「緑を大切に! 子供の心に木を植えよう」
雑草という草はないーーって言うけれど、じゃああなたは雑草の名をどれだけ知ってるの?
(没有叫做杂草的草——虽然你这么说,但是你又知道多少种杂草的名字呢?)
第8話「土の中で眠れ! 壊れゆく島々」
被害者という下積み時代を経て、僕たちは花形の加害者になる。
(经历了被人踩在脚下的被害者的时代,我们成为了备受瞩目的加害者。)
第9話「一番最初の魔法少女! 回る駱駝の前衛芸術」
終わりが見えたとき、それは終わっている。
(当看到终结的时候,那就已经终结了。)
第10話「少女から女へ、そして人へ! 四国ゲームの終わり」
終わりよければすべてよし。
つまり終わりが悪ければーー
(结局好则一切都好。也就是说如果结局不好的话——)
SKE48齐藤真木子
大好きなみなちゃんの結婚式へ
みなちゃんがSKEに来てから出会って10年以上経つけど昔から変わらない無邪気なところやマイペースなところ、ストイックだから諦めが悪くて限界を知らないところ、楽しいことが大好きで、いつも周りには笑顔が溢れるところ、この日はいろんな場面でみなちゃんの人柄が垣間見れて、あぁみなちゃんってこういう人だったよな〜と懐かしくなりました♡
真っ白なドレスに身を包んでバージンロードを歩く姿、本っっっ当に眩しくて…!ダイエットも自分磨きもこの日のために頑張ったんだろうなぁ。もともと小柄なのに更に小さくなっていて驚いたよ…中座の淡いピンクドレスのみなちゃんも可愛いすぎて驚き…!登場した瞬間"かわいー"って歓声が上がるほど。もうコーラもポテトも浴びるくらい食べておくれ
式が進むにつれて嬉しかった時も、楽しかった時も、しんどかった時も、しあわせになろうね!ってふたりでたくさん励ましあって噛み締めて乗り越えて来た日々を思い出しながら、また目の前にいるみなちゃんを見て、、何度も何度も胸がいっぱいになりました…✨
これからも変わらずおばあちゃんになっても仲良く一緒にチャリ漕いで公園で豚まんとココア飲みながら遊ぼうね
みなちゃん、しゅうたさんご結婚おめでとうございます
お招き頂き本当にありがとうございま
...
大好きなみなちゃんの結婚式へ
みなちゃんがSKEに来てから出会って10年以上経つけど昔から変わらない無邪気なところやマイペースなところ、ストイックだから諦めが悪くて限界を知らないところ、楽しいことが大好きで、いつも周りには笑顔が溢れるところ、この日はいろんな場面でみなちゃんの人柄が垣間見れて、あぁみなちゃんってこういう人だったよな〜と懐かしくなりました♡
真っ白なドレスに身を包んでバージンロードを歩く姿、本っっっ当に眩しくて…!ダイエットも自分磨きもこの日のために頑張ったんだろうなぁ。もともと小柄なのに更に小さくなっていて驚いたよ…中座の淡いピンクドレスのみなちゃんも可愛いすぎて驚き…!登場した瞬間"かわいー"って歓声が上がるほど。もうコーラもポテトも浴びるくらい食べておくれ
式が進むにつれて嬉しかった時も、楽しかった時も、しんどかった時も、しあわせになろうね!ってふたりでたくさん励ましあって噛み締めて乗り越えて来た日々を思い出しながら、また目の前にいるみなちゃんを見て、、何度も何度も胸がいっぱいになりました…✨
これからも変わらずおばあちゃんになっても仲良く一緒にチャリ漕いで公園で豚まんとココア飲みながら遊ぼうね
みなちゃん、しゅうたさんご結婚おめでとうございます
お招き頂き本当にありがとうございま
...
前几个月说的声音的工作就是村上春树的这本散文集哇。
『走ることについて語るときに僕の語ること』(《当我谈跑步时我谈些什么》)
俳優の大沢たかおさん(55)が、音声でコンテンツを配信するサービス「Amazonオーディブル(以下、Audible)」で、22日から配信される村上春樹さんのエッセイ集『走ることについて語るときに僕の語ること』の朗読を担当します。収録を終えた大沢さんに、作品への想いや、そこから考えた自身の生き方についてお話を伺いました。
https://t.cn/A6lqaeIX
大沢たかおさん、村上春樹作品の朗読で振り返る20、30代。葛藤の連続から抜け出せた理由とは
村上さんの違う一面を見た
――まずは原作を読んだ感想を教えてください。
大沢たかおさん(以下、大沢): 僕が初めてこの作品を読んだのは少し前のことなのですが、その時は村上さんのことをあまりよく存じ上げていなかったんです。だけど「すごい人」ということは世の常識として知っていたので、本書でご自分のことを割と赤裸々に、かつとてもすてきに書かれていたことに驚きました。すごく人間っぽくて「雲の上の天才」とはまた違う一面を見せてくれたような印象がありました。
――では、今回のオファーを聞いた時のお気持ちは?
大沢: まさか自分がこの本を読むことになるとはもちろん思っていなかったんですよ。「村上春樹さんの作品を朗読してもらえないか」というお話を最初に聞いた時、小説だと自分にはちょっと難しいかなと思ったんです。でも、朗読するのが『走ることについて語るときに僕の語ること』とうかがって「この作品だったら、もしかしたらできるかも」と思いました。
――「この作品ならできるかも」と思われた理由はどんなところにあったのでしょうか。
大沢: 僕が好きなエッセイというジャンルだったこともありますが、等身大の人間という位置から、村上さんが色々なものを観察して表現しているなと感じました。そこにはとても美しい文学的表現や詩的表現もあり、年代を問わず楽しめる本に仕上げられているなと思ったんです。僕が何か取り繕って読むよりも、そのままの自分で読むことができる作品なのかなと思い、お受けしました。
句読点にも大きな意味がある
――私は原作を読みながら大沢さんの朗読を聞いてみたのですが、原作で読点が打っていないところでも半拍(はんぱく)あけて読まれていたり、括弧(かっこ)内は少し協調したり感情を込めたりしていましたよね。そういうちょっとした違いを見つけるのもおもしろかったです。
大沢: 句読点がないところの間をどうするかはすごく迷いました。僕個人としては、やっぱり原作に書かれた句読点の通りに読むべきだと思うんです。文学ってそこに意味があるから、変えてしまうと全然違ってしまう。だけど、読んでいると少しずつ自分の感情が入ってきてしまって、自分の等身大で読んでみようとしたら、句読点がないところにも間をあけたくなってしまうんですよね。なので、もしそこが違っていたら村上さんに申し訳ないなと思うんですけど、そこに関してはディレクションサイドが放任してくれたので、自分の気持ちで読ませてもらったところはあるかもしれないです。
――俳優としてドラマや映画に出演される時と、今回のような朗読では表現の仕方に違いはありましたか?
大沢: 芝居と朗読は全く違って、似て非なるものだと思います。僕はこの仕事(朗読)を専門にする人じゃないから朗読の面白さはまだ分からないけど、何日間もスタジオにこもって一人で話し続けるのは大変なことでした。でも、ゆっくり読む時間をとって村上さんの追体験をすることができたし、声に出して読むことでそこに込められた色々なメッセージを自分の記憶の中により残すことができたので、今回の朗読を担当させてもらってよかったなと思います。
パリコレで経験した挫折
――村上さんは本作の中で「20代の10年間で僕の世界観は少なからぬ変化を遂げた」と書かれていましたが、大沢さんは20代の時と現在とで、お仕事に対する向き合い方や人生観に変化はありましたか?
大沢: 僕は大学時代からファッションモデルをやっていて、当時はそちらの仕事に重きを置いていました。でもその後、縁があって芝居をする環境になって、何となく続いたという感じなんですよ。20代はとにかく周りの環境が変化していたし、自分というものが定まっていなかったかもしれないです。
「変化」ということで言うと、村上さんに共感するところがあるんじゃないかなと勝手に思っています。僕はファッションにすごく愛着があったので、モデルの仕事も嫌いじゃなかった。だけどパリコレで挫折を経験して、なんとなく俳優をすることになったのは、村上さんが昔ジャズ喫茶を経営しながら、なんとなく小説を書いてみたことに似ているかもしれないです。村上さんが今回の作品で音楽のことを表現されているのもその時の名残があると思うので、ちょっと近いところがあるのかなと感じています。
――以前、ラジオ番組に出演された際、ご自身の人生を振り返って「10代、20代、30代は『葛藤』」と仰っていましたが、その葛藤とはどんなものだったのでしょうか?
大沢: 若い時って理想の自分と現実の自分のギャップに苦しむことがあるじゃないですか。ある程度粋がっていないとやっていられないこともあるし、変に達観して、世の中のことが分かってもつまらないでしょう。そういう中で、新しいアイディアや表現が生まれたり、新しい時代が出てきたりするので、20代や30代はそういう葛藤の連続だった気がします。
その葛藤に対してある種の諦めみたいなものが、年齢を重ねていくとだんだん入ってきて、意地とかプライドみたいなものが薄らいでいったんです。その「諦め」というのは決して悪い意味ではなく、自分の中の凝り固まっていた何かが少しずつ解けていったからだと思うんですよね。今も自分の中に葛藤がなくなったわけじゃないけど、以前はどこか肩ひじを張っていた力が、だんだん抜けてきたなと思います。
つまらないことで見栄を張らなくなった
――肩の力が抜けてきたなと感じたのはどんな理由があると思いますか。
大沢: 若い時は自分の実力なんて分からないけど、壁にぶつかったり、いろんな目にあったりして、自分の大きさがだんだん見えてきますよね。そうすると、自分の身を固めていた余計なものが徐々にはがれ落ちて、つまらないことで見栄を張らなくなってくるし、そこに意味を感じなくなる。そもそも、自分はこれくらいの大きさなのに、若い時はそのサイズがわからないから自分のことを無限に大きく設定してしまう。そこでどうしても理想と現実にぶつかっちゃうんだけど、50歳越えてもまだ自分の大きさを勘違いしているという人は少ないと思うし、痛みがあって傷ついて、余計なものが削れていく中で、みんな「自分」を知っていくのだと思います。
『走ることについて語るときに僕の語ること』(《当我谈跑步时我谈些什么》)
俳優の大沢たかおさん(55)が、音声でコンテンツを配信するサービス「Amazonオーディブル(以下、Audible)」で、22日から配信される村上春樹さんのエッセイ集『走ることについて語るときに僕の語ること』の朗読を担当します。収録を終えた大沢さんに、作品への想いや、そこから考えた自身の生き方についてお話を伺いました。
https://t.cn/A6lqaeIX
大沢たかおさん、村上春樹作品の朗読で振り返る20、30代。葛藤の連続から抜け出せた理由とは
村上さんの違う一面を見た
――まずは原作を読んだ感想を教えてください。
大沢たかおさん(以下、大沢): 僕が初めてこの作品を読んだのは少し前のことなのですが、その時は村上さんのことをあまりよく存じ上げていなかったんです。だけど「すごい人」ということは世の常識として知っていたので、本書でご自分のことを割と赤裸々に、かつとてもすてきに書かれていたことに驚きました。すごく人間っぽくて「雲の上の天才」とはまた違う一面を見せてくれたような印象がありました。
――では、今回のオファーを聞いた時のお気持ちは?
大沢: まさか自分がこの本を読むことになるとはもちろん思っていなかったんですよ。「村上春樹さんの作品を朗読してもらえないか」というお話を最初に聞いた時、小説だと自分にはちょっと難しいかなと思ったんです。でも、朗読するのが『走ることについて語るときに僕の語ること』とうかがって「この作品だったら、もしかしたらできるかも」と思いました。
――「この作品ならできるかも」と思われた理由はどんなところにあったのでしょうか。
大沢: 僕が好きなエッセイというジャンルだったこともありますが、等身大の人間という位置から、村上さんが色々なものを観察して表現しているなと感じました。そこにはとても美しい文学的表現や詩的表現もあり、年代を問わず楽しめる本に仕上げられているなと思ったんです。僕が何か取り繕って読むよりも、そのままの自分で読むことができる作品なのかなと思い、お受けしました。
句読点にも大きな意味がある
――私は原作を読みながら大沢さんの朗読を聞いてみたのですが、原作で読点が打っていないところでも半拍(はんぱく)あけて読まれていたり、括弧(かっこ)内は少し協調したり感情を込めたりしていましたよね。そういうちょっとした違いを見つけるのもおもしろかったです。
大沢: 句読点がないところの間をどうするかはすごく迷いました。僕個人としては、やっぱり原作に書かれた句読点の通りに読むべきだと思うんです。文学ってそこに意味があるから、変えてしまうと全然違ってしまう。だけど、読んでいると少しずつ自分の感情が入ってきてしまって、自分の等身大で読んでみようとしたら、句読点がないところにも間をあけたくなってしまうんですよね。なので、もしそこが違っていたら村上さんに申し訳ないなと思うんですけど、そこに関してはディレクションサイドが放任してくれたので、自分の気持ちで読ませてもらったところはあるかもしれないです。
――俳優としてドラマや映画に出演される時と、今回のような朗読では表現の仕方に違いはありましたか?
大沢: 芝居と朗読は全く違って、似て非なるものだと思います。僕はこの仕事(朗読)を専門にする人じゃないから朗読の面白さはまだ分からないけど、何日間もスタジオにこもって一人で話し続けるのは大変なことでした。でも、ゆっくり読む時間をとって村上さんの追体験をすることができたし、声に出して読むことでそこに込められた色々なメッセージを自分の記憶の中により残すことができたので、今回の朗読を担当させてもらってよかったなと思います。
パリコレで経験した挫折
――村上さんは本作の中で「20代の10年間で僕の世界観は少なからぬ変化を遂げた」と書かれていましたが、大沢さんは20代の時と現在とで、お仕事に対する向き合い方や人生観に変化はありましたか?
大沢: 僕は大学時代からファッションモデルをやっていて、当時はそちらの仕事に重きを置いていました。でもその後、縁があって芝居をする環境になって、何となく続いたという感じなんですよ。20代はとにかく周りの環境が変化していたし、自分というものが定まっていなかったかもしれないです。
「変化」ということで言うと、村上さんに共感するところがあるんじゃないかなと勝手に思っています。僕はファッションにすごく愛着があったので、モデルの仕事も嫌いじゃなかった。だけどパリコレで挫折を経験して、なんとなく俳優をすることになったのは、村上さんが昔ジャズ喫茶を経営しながら、なんとなく小説を書いてみたことに似ているかもしれないです。村上さんが今回の作品で音楽のことを表現されているのもその時の名残があると思うので、ちょっと近いところがあるのかなと感じています。
――以前、ラジオ番組に出演された際、ご自身の人生を振り返って「10代、20代、30代は『葛藤』」と仰っていましたが、その葛藤とはどんなものだったのでしょうか?
大沢: 若い時って理想の自分と現実の自分のギャップに苦しむことがあるじゃないですか。ある程度粋がっていないとやっていられないこともあるし、変に達観して、世の中のことが分かってもつまらないでしょう。そういう中で、新しいアイディアや表現が生まれたり、新しい時代が出てきたりするので、20代や30代はそういう葛藤の連続だった気がします。
その葛藤に対してある種の諦めみたいなものが、年齢を重ねていくとだんだん入ってきて、意地とかプライドみたいなものが薄らいでいったんです。その「諦め」というのは決して悪い意味ではなく、自分の中の凝り固まっていた何かが少しずつ解けていったからだと思うんですよね。今も自分の中に葛藤がなくなったわけじゃないけど、以前はどこか肩ひじを張っていた力が、だんだん抜けてきたなと思います。
つまらないことで見栄を張らなくなった
――肩の力が抜けてきたなと感じたのはどんな理由があると思いますか。
大沢: 若い時は自分の実力なんて分からないけど、壁にぶつかったり、いろんな目にあったりして、自分の大きさがだんだん見えてきますよね。そうすると、自分の身を固めていた余計なものが徐々にはがれ落ちて、つまらないことで見栄を張らなくなってくるし、そこに意味を感じなくなる。そもそも、自分はこれくらいの大きさなのに、若い時はそのサイズがわからないから自分のことを無限に大きく設定してしまう。そこでどうしても理想と現実にぶつかっちゃうんだけど、50歳越えてもまだ自分の大きさを勘違いしているという人は少ないと思うし、痛みがあって傷ついて、余計なものが削れていく中で、みんな「自分」を知っていくのだと思います。
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