#佐藤究# #テスカトリポカ#
物語と時間をめぐる究・極対談――佐藤究×京極夏彦 特別公開
時間の編集は小説の極めて重要な要素
佐藤:京極さんとは裏の仕事でいつもご一緒していますけど、こうして表でお話しするのは初めてです。
京極:裏って(笑)。別に晴らせぬ恨みを晴らしたりしてるわけじゃないですから。ただ小説の話はしたことないですね。
佐藤:貴重な機会なので、京極さんに打ちこまれる覚悟で、こういう対談ではあまり見ない切り口からお話を伺えればと思います。今日一番お訊きしたいのは、京極作品における時間について。たとえば京極さんの『ヒトごろし』は普通ここでカットするだろうという箇所でも、シーンが切り替わりません。人を斬れる立場としての武士に執着する土方歳三の意識の流れが、休むことなく描かれていて、異様な感じを受けました。連想したのはフランツ・カフカの『城』です。カフカの主人公も権力の象徴である城の周囲を、いつまでもさまよい続けている。『ヒトごろし』に流れる時間は、あの不穏さに近い。そう思いながら『オジいサン』も読み返して。
京極:内容にずいぶん落差があるけど(笑)。
佐藤:『オジいサン』はユーモア小説のように思われていますけど、相当怖ろしいですよ。あの作品のテーマはまさに時間ですよね。益子徳一という老人の意識が、リアルタイムで叙述されていく。なぜ自分が卵を二つ割ってしまったのか、というような些細な問題を執拗に追い続けていて、鬼気迫るものがあります。澁澤龍彦がカフカの世界を評して、完結しているのに虚無に通じる穴が空いている、と書いているんですが、京極さんは正気を保ってカフカのようなことをやっている。
京極:今日は佐藤君の新作『テスカトリポカ』の話をしにきたはずなんだけど(笑)、思わぬ方向から球が飛んできて、虚を衝かれました。『オジいサン』は視点人物の脳内時間と、読者が文字を追う時間をシンクロさせようという無駄な試みですね。ドラマの『24』のようなもので。普通、小説内時間と読書時間は一致していないわけですが、それを近づけることは技術的に不可能なことではなかろうと。ただ短編一本読み終えるまでにかかる時間はせいぜい数十分だから、大した事件は起こせない。当然地味な小説になる。僕には面白くない小説を、面白そうに見せかけることに心血を注ぐという困った性質があるんです。
佐藤:『オジいサン』を読んでいると、時間が白昼を漂う幽霊のような存在であることがよく分かる。京極さんの怖さがある意味、一番出ている小説だと思います。時間を編集するといえば、京極さんの小説は文章が見開きページを跨がない工夫をされているじゃないですか。あれも視覚的効果より、むしろ時間のコントロールに関係しているのかな、と推理しているんですが。
京極:仰る通り時間の編集は小説において極めて重要な要素だと思います。でもあまり注目する人はいませんね。小説内時間は可変・可逆ですから、実時間ではなく体感時間に近い。のみならず自由にコントロールすることができる。一行で百年経過させることも可能だし、折り畳むことも分岐させることも可能です。時系列を組み換え密度を調整するだけでマジックリアリズムのような効果を出すことも可能でしょうし。『テスカトリポカ』も大胆な時間の編集をしていますよね。異なる時間軸を同一線上に並べることで、アステカの神話世界と、それを信仰するメキシコ人血族の青史、そして現代の闇社会と犯罪という異質なものが、単に接続するのではなく同質の事象として立ち上がってくる。
佐藤:前作の『Ank:a mirroring ape』が時間をシャッフルさせる手法を使って上手くいったので、その延長でこういう形になったんだと思います。この話は時系列順に書いても、面白いものにはならないだろうなと。
京極:『Ank』の三倍は面倒なことをしていますよね。手間も時間もかかったでしょ。
佐藤:完成まで三年半かかりました。部屋から二度と出られないんじゃないかと思った日もあったので、ほっとしています。
暴力を解除する鍵もセットしておこう
京極:現実は無数のレイヤーが重なり合っているものですが、小説はそれを書き手が取捨選択するわけです。昨今はなるべくレイヤーの少ない、すっきりした小説が好まれる傾向にあるようですが、『テスカトリポカ』はその傾向に反旗を翻してますね。エピソードもキャラクターも怒濤のように提供されるんだけど、それを贅沢に使い捨てるじゃないですか。あの無駄遣いが、作品の豊かさに繫がっている。キャラクターといえば、立派なサイコパスが何人も出てきますよね。僕はサイコパスの描写には魅かれるところがあるので得した気分です。殺した相手をドラム缶で煮ちゃうとか(笑)。
佐藤:チャターラですね。彼は友人の丸山ゴンザレス君がモデルじゃないかと言われるんだけど、違うんですよ。モデルは別にいます。ちなみに土方姓のキャラクターが出てくるのは、『ヒトごろし』へのオマージュです。
京極:そうだったのか(笑)。いや、冒頭に登場するメキシコから日本に逃れてくる女性が主人公かと思って読み進めていくと、すぐに裏切られる(笑)。日本に来るまでの麻薬密売人バルミロの話も大層面白いんだけど、それも中心というわけではない。無理に主人公を立てるなら土方コシモということになるんだろうけど、そうでもない。結局、テスカトリポカが主役なのね。このいびつなペース配分が素晴らしいと思う。もしこれを整理して書いたら、確かに気の抜けた大河ドラマみたいになっていたと思うし。
佐藤:原稿では、コルテスとスペイン人によるアステカ征服のシーンも二、三百枚くらいあったんです。アステカや現代のカルテルに匹敵する、カトリックの血塗られた歴史を書いたんですが、本の厚さも値段も大変なことになると編集さんに泣かれて、カットしました。
京極:勿体ない。ところで何箇所か太字ゴシックで表記されている文章がありますね。ごく短いフレーズもあれば、一、二ページ丸ごとゴシック表記されている箇所もある。あれ、法則がありそうで分からない。
佐藤:書いている最中は、何かしらロジックがあった気がしますが、明確な基準はないです。この作品は翻訳ノンフィクションの文体を意識しているんですが、翻訳本にはなぜここがという箇所が、ゴシックになっていることがある。あの感じを出したかったのかもしれません。
京極:僕は規則性にこだわってしまう質なので、意図的かそうでないのか分からない絶妙なラフさに、いたく感銘を受けました。しかもそれが作品世界の構築に、遠回しながらも貢献している。
佐藤:デザイナーの川名潤さんのお蔭もあります。原稿の段階では太字明朝体だったのを、川名さんがゴシックにしてくれたので。
京極:バルミロたちが手を染める臓器ビジネスと、心臓を神に捧げるアステカ神話が重ねられていますが、この二つを結び付けた経緯というのは何かあるんですか。
佐藤:臓器売買が先ですね。レッドマーケットと呼ばれる臓器ビジネスは、資本主義経済の行きつく先です。それを麻薬売買と並ぶ現代の悪として、書こうと思いました。
京極:心臓売買が先だったんだ。
佐藤:はい。『資本主義リアリズム』という本を読んだら、マイク・デイヴィスという批評家がジェイムズ・エルロイのクライムノベルを批判した文章が引用されていて。デイヴィスは腐敗した社会の観察者を気取るエルロイを、レーガンブッシュ政権の世界観を支えたにすぎない、とぶった切っています。この指摘に衝撃を受けて、デイヴィスに応えられないとクライムノベルは書けないなと痛感しました。アメリカの連邦議事堂に突入したQアノン信奉者を見ても分かるとおり、以前のように無邪気にフィクションと現実を区別できない時代に来ている。だったら暴力を解除する鍵も、作中にセットしておこうと。それがアステカの人身供犠を重ねて書く作業でした。
京極:信仰の最深部が社会構造の終焉部とシンクロして行くという妙ね。確かにそういう強いメッセージはあるんだけど、混沌とした意匠に覆われているために、お説教くさくなっていない。全編残虐行為だらけのこの小説で、一番胸が痛むのは、罪もない子どもたちが心臓を取り出されるシーンですよね。どこか遠くにあるように感じていた搾取の構図が、急に身近なものとして迫ってくる。ここも上手いですよね。
『巷説』シリーズの到達点
佐藤:そのあたりは京極さんの小説から多くを学ばせてもらっています。現代人が忘れていながら、なおもくり返されている見えない構造みたいなものを、怪異を使って書かれるじゃないですか。『怪と幽』に連載されていた『遠巷説百物語』も咄・譚・噺・話という複数のレイヤーが重ねられて、構造みたいなものを浮かびあがらせる。こういう小説は他にないので、いつも刺激を受けています。
京極:あれはそんなに面倒な手続きじゃないんですけどね。世間話が精錬されて昔話になるという構図を反転させてみようかなという発想があって。江戸末期の遠野を舞台に選びましたが、遠野って『遠野物語』のお蔭で、あたかも『まんが日本昔ばなし』に出てくる田舎のように思われがちですが、実際はさまざまな階層・職業の人が行き交う城下町であり交易地なんですね。当然話も集まる場所で。でも、史実の方が面白かったりするんですね。まあ褒められるような小説ではないですよ。
佐藤:僕は『巷説』シリーズの到達点と思いましたけど。新しく出てくる乙蔵も〝リアルねずみ男〟みたいで好きでした。そうだ、『テスカトリポカ』にも水木先生の影響があるんですよ。『ゲゲゲの鬼太郎』でよく外国の妖怪が大挙して攻めてきたと思ったら、意外とあっさり帰ることってありませんか。あのずらしの感覚を、今回はあえて取り入れてみました。
京極:現実には物事がすべて綺麗に片付くなんてことはあり得ないわけです。小説内の結構性さえ守られていれば、敵が生きていようが、事件が未解決だろうが問題ない。『テスカトリポカ』はアステカ神話や暦をなぞる形で、律儀にこれしかないだろうという結末に落とし込んでいる。回収されない部分も含めて完結感は高いですよ。
佐藤:『巷説』シリーズもついに完結だそうですね。
京極:次に書かされる『了巷説百物語』でおしまいです。面倒だから書きたくないと言ったんだけど。このシリーズは『桃山人夜話・絵本百物語』に出てくるお化けを題材にしているんですが、『遠巷説』を書き終えたら、残りがあと六体になった。「ここまできて全部消化しないのはどうなんですか」とKADOKAWAの偉い人に痛いところを突かれて、それもそうだなとうっかり思ってしまったんです。
佐藤:人のことを言えないけど、みんな京極さんに仕事を頼みすぎですよ。もし一年間自由時間があったら、何をしたいですか。
京極:何もしません(笑)。僕は佐藤君みたいに若くないから、呼吸するのも面倒なんです。小説家を引退するのが長年の目標。最近はいい書き手がどんどん出てきたから、安心して隠居できそうです。
佐藤:(笑)。僕も若くはないですが。食えない純文学作家を十年やって、『QJKJQ』で乱歩賞をいただいて再デビューしたので、業界に恩返ししたいなという気持ちはあるけど、個人的な野心はありません。そもそも裏方として働く方が好きですし。
京極:裏方志向は僕も一緒です。『テスカトリポカ』のような小説は書くのが大変だと思うんですね。でも読む側としては、面倒な小説って面白いんですよ。一日で読んじゃいました。一作に五年かけてもいいから、納得できるものを書いて、読ませてください。
佐藤:ありがとうございます。京極さんに詳しく読み込んでいただいて、今日は報われました。
物語と時間をめぐる究・極対談――佐藤究×京極夏彦 特別公開
時間の編集は小説の極めて重要な要素
佐藤:京極さんとは裏の仕事でいつもご一緒していますけど、こうして表でお話しするのは初めてです。
京極:裏って(笑)。別に晴らせぬ恨みを晴らしたりしてるわけじゃないですから。ただ小説の話はしたことないですね。
佐藤:貴重な機会なので、京極さんに打ちこまれる覚悟で、こういう対談ではあまり見ない切り口からお話を伺えればと思います。今日一番お訊きしたいのは、京極作品における時間について。たとえば京極さんの『ヒトごろし』は普通ここでカットするだろうという箇所でも、シーンが切り替わりません。人を斬れる立場としての武士に執着する土方歳三の意識の流れが、休むことなく描かれていて、異様な感じを受けました。連想したのはフランツ・カフカの『城』です。カフカの主人公も権力の象徴である城の周囲を、いつまでもさまよい続けている。『ヒトごろし』に流れる時間は、あの不穏さに近い。そう思いながら『オジいサン』も読み返して。
京極:内容にずいぶん落差があるけど(笑)。
佐藤:『オジいサン』はユーモア小説のように思われていますけど、相当怖ろしいですよ。あの作品のテーマはまさに時間ですよね。益子徳一という老人の意識が、リアルタイムで叙述されていく。なぜ自分が卵を二つ割ってしまったのか、というような些細な問題を執拗に追い続けていて、鬼気迫るものがあります。澁澤龍彦がカフカの世界を評して、完結しているのに虚無に通じる穴が空いている、と書いているんですが、京極さんは正気を保ってカフカのようなことをやっている。
京極:今日は佐藤君の新作『テスカトリポカ』の話をしにきたはずなんだけど(笑)、思わぬ方向から球が飛んできて、虚を衝かれました。『オジいサン』は視点人物の脳内時間と、読者が文字を追う時間をシンクロさせようという無駄な試みですね。ドラマの『24』のようなもので。普通、小説内時間と読書時間は一致していないわけですが、それを近づけることは技術的に不可能なことではなかろうと。ただ短編一本読み終えるまでにかかる時間はせいぜい数十分だから、大した事件は起こせない。当然地味な小説になる。僕には面白くない小説を、面白そうに見せかけることに心血を注ぐという困った性質があるんです。
佐藤:『オジいサン』を読んでいると、時間が白昼を漂う幽霊のような存在であることがよく分かる。京極さんの怖さがある意味、一番出ている小説だと思います。時間を編集するといえば、京極さんの小説は文章が見開きページを跨がない工夫をされているじゃないですか。あれも視覚的効果より、むしろ時間のコントロールに関係しているのかな、と推理しているんですが。
京極:仰る通り時間の編集は小説において極めて重要な要素だと思います。でもあまり注目する人はいませんね。小説内時間は可変・可逆ですから、実時間ではなく体感時間に近い。のみならず自由にコントロールすることができる。一行で百年経過させることも可能だし、折り畳むことも分岐させることも可能です。時系列を組み換え密度を調整するだけでマジックリアリズムのような効果を出すことも可能でしょうし。『テスカトリポカ』も大胆な時間の編集をしていますよね。異なる時間軸を同一線上に並べることで、アステカの神話世界と、それを信仰するメキシコ人血族の青史、そして現代の闇社会と犯罪という異質なものが、単に接続するのではなく同質の事象として立ち上がってくる。
佐藤:前作の『Ank:a mirroring ape』が時間をシャッフルさせる手法を使って上手くいったので、その延長でこういう形になったんだと思います。この話は時系列順に書いても、面白いものにはならないだろうなと。
京極:『Ank』の三倍は面倒なことをしていますよね。手間も時間もかかったでしょ。
佐藤:完成まで三年半かかりました。部屋から二度と出られないんじゃないかと思った日もあったので、ほっとしています。
暴力を解除する鍵もセットしておこう
京極:現実は無数のレイヤーが重なり合っているものですが、小説はそれを書き手が取捨選択するわけです。昨今はなるべくレイヤーの少ない、すっきりした小説が好まれる傾向にあるようですが、『テスカトリポカ』はその傾向に反旗を翻してますね。エピソードもキャラクターも怒濤のように提供されるんだけど、それを贅沢に使い捨てるじゃないですか。あの無駄遣いが、作品の豊かさに繫がっている。キャラクターといえば、立派なサイコパスが何人も出てきますよね。僕はサイコパスの描写には魅かれるところがあるので得した気分です。殺した相手をドラム缶で煮ちゃうとか(笑)。
佐藤:チャターラですね。彼は友人の丸山ゴンザレス君がモデルじゃないかと言われるんだけど、違うんですよ。モデルは別にいます。ちなみに土方姓のキャラクターが出てくるのは、『ヒトごろし』へのオマージュです。
京極:そうだったのか(笑)。いや、冒頭に登場するメキシコから日本に逃れてくる女性が主人公かと思って読み進めていくと、すぐに裏切られる(笑)。日本に来るまでの麻薬密売人バルミロの話も大層面白いんだけど、それも中心というわけではない。無理に主人公を立てるなら土方コシモということになるんだろうけど、そうでもない。結局、テスカトリポカが主役なのね。このいびつなペース配分が素晴らしいと思う。もしこれを整理して書いたら、確かに気の抜けた大河ドラマみたいになっていたと思うし。
佐藤:原稿では、コルテスとスペイン人によるアステカ征服のシーンも二、三百枚くらいあったんです。アステカや現代のカルテルに匹敵する、カトリックの血塗られた歴史を書いたんですが、本の厚さも値段も大変なことになると編集さんに泣かれて、カットしました。
京極:勿体ない。ところで何箇所か太字ゴシックで表記されている文章がありますね。ごく短いフレーズもあれば、一、二ページ丸ごとゴシック表記されている箇所もある。あれ、法則がありそうで分からない。
佐藤:書いている最中は、何かしらロジックがあった気がしますが、明確な基準はないです。この作品は翻訳ノンフィクションの文体を意識しているんですが、翻訳本にはなぜここがという箇所が、ゴシックになっていることがある。あの感じを出したかったのかもしれません。
京極:僕は規則性にこだわってしまう質なので、意図的かそうでないのか分からない絶妙なラフさに、いたく感銘を受けました。しかもそれが作品世界の構築に、遠回しながらも貢献している。
佐藤:デザイナーの川名潤さんのお蔭もあります。原稿の段階では太字明朝体だったのを、川名さんがゴシックにしてくれたので。
京極:バルミロたちが手を染める臓器ビジネスと、心臓を神に捧げるアステカ神話が重ねられていますが、この二つを結び付けた経緯というのは何かあるんですか。
佐藤:臓器売買が先ですね。レッドマーケットと呼ばれる臓器ビジネスは、資本主義経済の行きつく先です。それを麻薬売買と並ぶ現代の悪として、書こうと思いました。
京極:心臓売買が先だったんだ。
佐藤:はい。『資本主義リアリズム』という本を読んだら、マイク・デイヴィスという批評家がジェイムズ・エルロイのクライムノベルを批判した文章が引用されていて。デイヴィスは腐敗した社会の観察者を気取るエルロイを、レーガンブッシュ政権の世界観を支えたにすぎない、とぶった切っています。この指摘に衝撃を受けて、デイヴィスに応えられないとクライムノベルは書けないなと痛感しました。アメリカの連邦議事堂に突入したQアノン信奉者を見ても分かるとおり、以前のように無邪気にフィクションと現実を区別できない時代に来ている。だったら暴力を解除する鍵も、作中にセットしておこうと。それがアステカの人身供犠を重ねて書く作業でした。
京極:信仰の最深部が社会構造の終焉部とシンクロして行くという妙ね。確かにそういう強いメッセージはあるんだけど、混沌とした意匠に覆われているために、お説教くさくなっていない。全編残虐行為だらけのこの小説で、一番胸が痛むのは、罪もない子どもたちが心臓を取り出されるシーンですよね。どこか遠くにあるように感じていた搾取の構図が、急に身近なものとして迫ってくる。ここも上手いですよね。
『巷説』シリーズの到達点
佐藤:そのあたりは京極さんの小説から多くを学ばせてもらっています。現代人が忘れていながら、なおもくり返されている見えない構造みたいなものを、怪異を使って書かれるじゃないですか。『怪と幽』に連載されていた『遠巷説百物語』も咄・譚・噺・話という複数のレイヤーが重ねられて、構造みたいなものを浮かびあがらせる。こういう小説は他にないので、いつも刺激を受けています。
京極:あれはそんなに面倒な手続きじゃないんですけどね。世間話が精錬されて昔話になるという構図を反転させてみようかなという発想があって。江戸末期の遠野を舞台に選びましたが、遠野って『遠野物語』のお蔭で、あたかも『まんが日本昔ばなし』に出てくる田舎のように思われがちですが、実際はさまざまな階層・職業の人が行き交う城下町であり交易地なんですね。当然話も集まる場所で。でも、史実の方が面白かったりするんですね。まあ褒められるような小説ではないですよ。
佐藤:僕は『巷説』シリーズの到達点と思いましたけど。新しく出てくる乙蔵も〝リアルねずみ男〟みたいで好きでした。そうだ、『テスカトリポカ』にも水木先生の影響があるんですよ。『ゲゲゲの鬼太郎』でよく外国の妖怪が大挙して攻めてきたと思ったら、意外とあっさり帰ることってありませんか。あのずらしの感覚を、今回はあえて取り入れてみました。
京極:現実には物事がすべて綺麗に片付くなんてことはあり得ないわけです。小説内の結構性さえ守られていれば、敵が生きていようが、事件が未解決だろうが問題ない。『テスカトリポカ』はアステカ神話や暦をなぞる形で、律儀にこれしかないだろうという結末に落とし込んでいる。回収されない部分も含めて完結感は高いですよ。
佐藤:『巷説』シリーズもついに完結だそうですね。
京極:次に書かされる『了巷説百物語』でおしまいです。面倒だから書きたくないと言ったんだけど。このシリーズは『桃山人夜話・絵本百物語』に出てくるお化けを題材にしているんですが、『遠巷説』を書き終えたら、残りがあと六体になった。「ここまできて全部消化しないのはどうなんですか」とKADOKAWAの偉い人に痛いところを突かれて、それもそうだなとうっかり思ってしまったんです。
佐藤:人のことを言えないけど、みんな京極さんに仕事を頼みすぎですよ。もし一年間自由時間があったら、何をしたいですか。
京極:何もしません(笑)。僕は佐藤君みたいに若くないから、呼吸するのも面倒なんです。小説家を引退するのが長年の目標。最近はいい書き手がどんどん出てきたから、安心して隠居できそうです。
佐藤:(笑)。僕も若くはないですが。食えない純文学作家を十年やって、『QJKJQ』で乱歩賞をいただいて再デビューしたので、業界に恩返ししたいなという気持ちはあるけど、個人的な野心はありません。そもそも裏方として働く方が好きですし。
京極:裏方志向は僕も一緒です。『テスカトリポカ』のような小説は書くのが大変だと思うんですね。でも読む側としては、面倒な小説って面白いんですよ。一日で読んじゃいました。一作に五年かけてもいいから、納得できるものを書いて、読ませてください。
佐藤:ありがとうございます。京極さんに詳しく読み込んでいただいて、今日は報われました。
私、甘福氐暗は、ぜんぶ君のせいだ。を脱退します。突然の報告になってしまい、ごめんなさい。今までたくさんの応援をありがとうございます。
甘福氐暗になって、メンバーやスタッフさんやバンド隊やきみに出会って、夢、目標、仲間、努力、根気、信頼紡ぐ、責任、自分自身、執着、依存、プライド、愛、数え切れないくらい大切なものが増えました。それらを抱えて活動をしていく中で、さまざまな経験をし、失うものもあったし、自分自身の想いと甘福氏暗としての想いで葛藤する夜が何度もありました。何回も考えて、その度にきみの顔が思い浮かんで考え直して。ずっと一緒に笑い合いたい、悲しませたくない、約束を守りたいって。でも、走り続けるぜん君。と止まってしまいそうな自分。メンバーにもきみにも曖昧なまま、これ以上走り続けることは出来ないと思い決断をしました。弱い自分のせいで、応援してくれているきみを悲しませてしまうのが、申し訳ない気持ちでいっぱいです。
加入して約1年半ですが、私にとって人生で最も濃くて忙しくて大変で愛おしい日々でした。甘福氏暗になれたことも、きみとみてきた景色も、全部が私の誇りです。ぜんぶ君のせいだ。の音楽に、今も昔もこの先も救われることは変わらないし、きみのことが大好きな気持ちも変わりません。ねちと出会ってくれてありがとう。たくさんの愛をありがとう。きみがいてくれたから、ねちはステージに立てました。きみのことが本当に本当に大好きです。言葉で伝えるのは苦手だから、4月3日 TOKYO DOME CITY HALLで、ちゃんときみの目を見て、ぜん君。LIVEで「ありがとう」を伝えたいです。どうか最後まで、よろしくお願いします。ぜんぶ君のせいだ。甘福氏暗
甘福氐暗になって、メンバーやスタッフさんやバンド隊やきみに出会って、夢、目標、仲間、努力、根気、信頼紡ぐ、責任、自分自身、執着、依存、プライド、愛、数え切れないくらい大切なものが増えました。それらを抱えて活動をしていく中で、さまざまな経験をし、失うものもあったし、自分自身の想いと甘福氏暗としての想いで葛藤する夜が何度もありました。何回も考えて、その度にきみの顔が思い浮かんで考え直して。ずっと一緒に笑い合いたい、悲しませたくない、約束を守りたいって。でも、走り続けるぜん君。と止まってしまいそうな自分。メンバーにもきみにも曖昧なまま、これ以上走り続けることは出来ないと思い決断をしました。弱い自分のせいで、応援してくれているきみを悲しませてしまうのが、申し訳ない気持ちでいっぱいです。
加入して約1年半ですが、私にとって人生で最も濃くて忙しくて大変で愛おしい日々でした。甘福氏暗になれたことも、きみとみてきた景色も、全部が私の誇りです。ぜんぶ君のせいだ。の音楽に、今も昔もこの先も救われることは変わらないし、きみのことが大好きな気持ちも変わりません。ねちと出会ってくれてありがとう。たくさんの愛をありがとう。きみがいてくれたから、ねちはステージに立てました。きみのことが本当に本当に大好きです。言葉で伝えるのは苦手だから、4月3日 TOKYO DOME CITY HALLで、ちゃんときみの目を見て、ぜん君。LIVEで「ありがとう」を伝えたいです。どうか最後まで、よろしくお願いします。ぜんぶ君のせいだ。甘福氏暗
小宫山莉渚1st写真集,乐天特典明信片1枚,7net特典亲笔签名书,2022/3/29左右発売,亲笔签名特典预计4月下旬才能出货。
“大器の片鱗”期待の若手女優・小宮山莉渚が1st写真集を発売! 高校1年生・16歳の“ひと夏の大冒険”を収録。
綾野剛主演の映画「ヤクザと家族 The Family」(’21年公開)やプロテニスプレイヤー・大坂なおみが登場するパナソニックのCMなどにも出演。また、今年2月にはダンスボーカルグループ「MISS MERCY」としても活動することを発表し、ひときわ注目を集めている16歳・現役高校1年生の若手女優・小宮山莉渚が1st写真集を発売する。
撮影は2021年の7月に三宅島で行われた。自然豊かで空と海がきれいな小さな島を舞台に、“少女の夏の大冒険”のような旅の一部始終を収録。絶景の夕日、シュノーケリング、制服姿、夜の花火etc. 等身大の少女のひと夏の思い出をすべて詰め込んだような一冊に仕上がっている。カメラマンは、数々の女優やアイドルの写真集を手掛けている細居幸次郎氏が担当。荒削りで飾らない16歳のピュアな姿と表情は、思春期ならでは。それでいて、時折カメラに見せる眼差しは、適した表現が思い浮かばないほどに、どこか神々しい。まさに“大器の片鱗”とも呼ぶべき女優の記念すべき1st写真集、ご期待ください。
■プロフィール
小宮山莉渚(こみやま りな)
’05・7・14宮城県出身。蟹座。O型。’18年から芸能活動スタート。映画初出演となった作品「ヤクザと家族 The Family」では、主人公(綾野剛)の恋人・由香(尾野真千子)の娘役を演じて話題に。また、スターダストプロモーション が手掛ける女性9人組ダンスボーカルグループ「MISS MERCY」のメンバーとしても活動。Da-iCE工藤大輝が楽曲提供したことでも話題となったデビューシングル「Cinderella」が配信中。趣味は、お菓子作りとゲーム。特技は、囲碁。
“大器の片鱗”期待の若手女優・小宮山莉渚が1st写真集を発売! 高校1年生・16歳の“ひと夏の大冒険”を収録。
綾野剛主演の映画「ヤクザと家族 The Family」(’21年公開)やプロテニスプレイヤー・大坂なおみが登場するパナソニックのCMなどにも出演。また、今年2月にはダンスボーカルグループ「MISS MERCY」としても活動することを発表し、ひときわ注目を集めている16歳・現役高校1年生の若手女優・小宮山莉渚が1st写真集を発売する。
撮影は2021年の7月に三宅島で行われた。自然豊かで空と海がきれいな小さな島を舞台に、“少女の夏の大冒険”のような旅の一部始終を収録。絶景の夕日、シュノーケリング、制服姿、夜の花火etc. 等身大の少女のひと夏の思い出をすべて詰め込んだような一冊に仕上がっている。カメラマンは、数々の女優やアイドルの写真集を手掛けている細居幸次郎氏が担当。荒削りで飾らない16歳のピュアな姿と表情は、思春期ならでは。それでいて、時折カメラに見せる眼差しは、適した表現が思い浮かばないほどに、どこか神々しい。まさに“大器の片鱗”とも呼ぶべき女優の記念すべき1st写真集、ご期待ください。
■プロフィール
小宮山莉渚(こみやま りな)
’05・7・14宮城県出身。蟹座。O型。’18年から芸能活動スタート。映画初出演となった作品「ヤクザと家族 The Family」では、主人公(綾野剛)の恋人・由香(尾野真千子)の娘役を演じて話題に。また、スターダストプロモーション が手掛ける女性9人組ダンスボーカルグループ「MISS MERCY」のメンバーとしても活動。Da-iCE工藤大輝が楽曲提供したことでも話題となったデビューシングル「Cinderella」が配信中。趣味は、お菓子作りとゲーム。特技は、囲碁。
✋热门推荐