華蓋集 題記
鲁迅
大晦日の深夜、この年の雑感を整理したら、「熱風」の丸四年分より多かった。大部分はもとのような意見だが、態度はそれほど素直ではない。措辞もいつも回りくどく、議論も往々にして、数件の小さなことに拘泥し、見識家の笑い物とされるに十分だ。しかし他に何の手だてがあろう。今年はこうした小さなことに出会い、小さなことにこだわる癖がついてしまったようだ。
偉大な人(ブッダ)は三世を見通し、一切を観照し、大苦悩を嘗め、大歓喜を得て、大慈悲を発す、という。だが私はこれを成すには、深く山林に入り、古樹の下に坐して、静観黙想し、天眼通を会得し、ひとの世から遠く離れれば離れるほど、ひとの世をより広く認識できるということを知っている。そこでその言説が、より高度なものになれば、更に偉大になり、天人の師となるということも、知っている。私は小さい頃、空を飛べるようになるのを夢想したけれど、今なお地上におり、小さな切り傷も救えないから、広い心で、公正妥当な議論を展開し、公平に道理に通じる「正人君子」のようなことをするヒマなど、どこにあろうか。まさしく水に濡れた小蜂は、ただ泥の上を這いまわるだけで、洋館に住んでいる“通”の人たちと競争しようなど決して考えない。
だが、私は自分の持つ悲しみ苦しみ、憤激は決して洋館の通の人々の会得できるものではない。
この病の痛さの根底は、私がこの世に生きているからで、そして一個の常人で、“華蓋の運”にめぐり合えたからだ。
これまで運勢学を勉強したことは無いが、老人の話では、ひとは時に“華蓋の運”に会うそうだ。この華蓋は彼らの発音は大概「鑊蓋(ほーがい)」と訛っているので訂正する。
この運は和尚にとっては幸運で、頭上に華蓋があれば、成仏して開祖になる兆しだが、俗人は不運で、華蓋が頭上でかぶさっていると、釘付けのようで頭が上がらないという。
今年、雑感を始めたら、二回大きな釘に打たれた。
一つは「文字の詮索」もう一つは「青年必読書」。署名入りと匿名の豪傑諸士の罵倒の手紙が山のようになり、書架の下に突っ込んである。このあと、又突如として所謂学者、文士、正人君子等に会ったが、彼らは異口同音、公正な話をし、公理を談じ、“同じ仲間と徒党を組み、異見者を打倒す”というのは良くないと言う。残念ながら私と彼らとは大きな違いがある。それゆえ彼らには何回か打たれたのだが、これはもちろん“公理”の為で、私の“党同伐異”とは違うからである。
かくして今に至るも完結せず、“来年まで待とう”とするほかない。
またある人は私に、このような短評はもう書くなと勧めて呉れる。その好意には大変感謝し、決して創作の貴重なことを知らないではない。しかしこのような事をする時は、やはりこのような事をしなければならない。もし芸術の殿堂にこんな面倒な禁令があるのなら、行かない方がましだ。やはり砂漠に立ち、飛砂流石を見、楽しかったら大笑し、悲しかったら大いに泣き叫び、憤れば大いに罵る。たとえ砂礫に打たれてボロボロになり、頭が傷つき血が流れても、ときどき自分の凝血をさすって、もしそれが花模様のように見えたら、
中国の文士たちとシェークスピアの御相伴で、バター付きパンを食べる愉しさよりましだろう。
しかるに一方で私の視界が狭いと怨みに思う。中国だけ取り上げてもこの一年、大事件もたくさんあったが、往々にしてそこにも言及しなかったので、なんの感触も無いように思われるだろう。私はかねてから、中国の青年が立ちあがって、中国の社会、文明に何ら忌憚のない批評をしてほしいと望み、「莽原週刊」を出して発言の場としたが、投稿者はたいへん少なかった。他の刊行物は大抵は反抗者に対する攻撃で、これは実に私にとっては、このまま続けられるか心配だった。
今、一年の最後の深夜、夜も尽きようとし、我が生命も少なくとも一部はすでにこの無聊の中に費消され、私の得た物は自分の魂の荒涼とすさんだ姿だ。しかし私はいささかもこれらを憚ったりしないし、隠そうとも思わない。実際、それらを愛おしくすら思う。これは私が輾転と風砂の中で、暮らしてきた結果だから。自分が風砂の中で、輾転と生活してきたと感じたから、この意味が会得できた。
「熱風」を編集したとき、遺漏以外は数編削除した。今回はこれと異なり、一時の雑感一類のものは全てここに収めた。
一九二五年十二月三十一日夜 緑林書屋東壁の下で
在一年的尽头的深夜中,整理了这一年所写的杂感,竟比收在《热风》里的整四年中所写的还要多。意见大部分还是那样,而态度却没有那么质直了,措辞也时常弯弯曲曲,议论又往往执滞在几件小事情上,很足以贻笑于大方之家。然而那又有什么法子呢。我今年偏遇到这些小事情,而偏有执滞于小事情的脾气。
我知道伟大的人物能洞见三世,观照一切,历大苦恼,尝大欢喜,发大慈悲。但我又知道这必须深入山林,坐古树下,静观默想,得天眼通,离人间愈远遥,而知人间也愈深,愈广;于是凡有言说,也愈高,愈大;于是而为天人师。我幼时虽曾梦想飞空,但至今还在地上,救小创伤尚且来不及,那有余暇使心开意豁,立论都公允妥洽,平正通达,像“正人君子”一般;正如沾水小蜂,只在泥土上爬来爬去,万不敢比附洋楼中的通人,但也自有悲苦愤激,决非洋楼中的通人所能领会。
这病痛的根柢就在我活在人间,又是一个常人,能够交着 “华盖运”。
我平生没有学过算命,不过听老年人说,人是有时要交“华盖运”的。这“华盖”在他们口头上大概已经讹作“镬盖”了,现在加以订正。所以,这运,在和尚是好运:顶有华盖,自然是成佛作祖之兆。但俗人可不行,华盖在上,就要给罩住了,只好碰钉子。我今年开手作杂感时,就碰了两个大钉子: 一是为了 《咬文嚼字》,一是为了《青年必读书》。署名和匿名的豪杰之士的骂信,收了一大捆,至今还塞在书架下。此后又突然遇见了一些所谓学者,文士,正人,君子等等,据说都是讲公话,谈公理,而且深不以“党同伐异”为然的。可惜我和他们太不同了,所以也就被他们伐了几下,——但这自然是为“公理”之故,和我的“党同伐异”不同。这样,一直到现下还没有完结,只好“以待来年”。
也有人劝我不要做这样的短评。那好意,我是很感激的,而且也并非不知道创作之可贵。然而要做这样的东西的时候,恐怕也还要做这样的东西,我以为如果艺术之宫里有这么麻烦的禁令,倒不如不进去;还是站在沙漠上,看看飞沙走石,乐则大笑,悲则大叫,愤则大骂,即使被沙砾打得遍身粗糙,头破血流,而时时抚摩自己的凝血,觉得若有花纹,也未必不及跟着中国的文士们去陪莎士比亚吃黄油面包之有趣。
然而只恨我的眼界小,单是中国,这一年的大事件也可以算是很多的了,我竟往往没有论及,似乎无所感触。我早就很希望中国的青年站出来,对于中国的社会,文明,都毫无忌惮地加以批评,因此曾编印《莽原周刊》,作为发言之地,可惜来说话的竟很少。在别的刊物上,倒大抵是对于反抗者的打击,这实在是使我怕敢想下去的。
现在是一年的尽头的深夜,深得这夜将尽了,我的生命,至少是一部分的生命,已经耗费在写这些无聊的东西中,而我所获得的,乃是我自己的灵魂的荒凉和粗糙。但是我并不惧惮这些,也不想遮盖这些,而且实在有些爱他们了。因为这是我转辗而生活于风沙中的瘢痕。凡有自己也觉得在风沙中转辗而生活着的,会知道这意思。
我编《热风》时,除遗漏的之外,又删去了好几篇。这一回却小有不同了,一时的杂感一类的东西,几乎都在这里面。
一九二五年十二月三十一日之夜,记于绿林书屋东壁下。
鲁迅
大晦日の深夜、この年の雑感を整理したら、「熱風」の丸四年分より多かった。大部分はもとのような意見だが、態度はそれほど素直ではない。措辞もいつも回りくどく、議論も往々にして、数件の小さなことに拘泥し、見識家の笑い物とされるに十分だ。しかし他に何の手だてがあろう。今年はこうした小さなことに出会い、小さなことにこだわる癖がついてしまったようだ。
偉大な人(ブッダ)は三世を見通し、一切を観照し、大苦悩を嘗め、大歓喜を得て、大慈悲を発す、という。だが私はこれを成すには、深く山林に入り、古樹の下に坐して、静観黙想し、天眼通を会得し、ひとの世から遠く離れれば離れるほど、ひとの世をより広く認識できるということを知っている。そこでその言説が、より高度なものになれば、更に偉大になり、天人の師となるということも、知っている。私は小さい頃、空を飛べるようになるのを夢想したけれど、今なお地上におり、小さな切り傷も救えないから、広い心で、公正妥当な議論を展開し、公平に道理に通じる「正人君子」のようなことをするヒマなど、どこにあろうか。まさしく水に濡れた小蜂は、ただ泥の上を這いまわるだけで、洋館に住んでいる“通”の人たちと競争しようなど決して考えない。
だが、私は自分の持つ悲しみ苦しみ、憤激は決して洋館の通の人々の会得できるものではない。
この病の痛さの根底は、私がこの世に生きているからで、そして一個の常人で、“華蓋の運”にめぐり合えたからだ。
これまで運勢学を勉強したことは無いが、老人の話では、ひとは時に“華蓋の運”に会うそうだ。この華蓋は彼らの発音は大概「鑊蓋(ほーがい)」と訛っているので訂正する。
この運は和尚にとっては幸運で、頭上に華蓋があれば、成仏して開祖になる兆しだが、俗人は不運で、華蓋が頭上でかぶさっていると、釘付けのようで頭が上がらないという。
今年、雑感を始めたら、二回大きな釘に打たれた。
一つは「文字の詮索」もう一つは「青年必読書」。署名入りと匿名の豪傑諸士の罵倒の手紙が山のようになり、書架の下に突っ込んである。このあと、又突如として所謂学者、文士、正人君子等に会ったが、彼らは異口同音、公正な話をし、公理を談じ、“同じ仲間と徒党を組み、異見者を打倒す”というのは良くないと言う。残念ながら私と彼らとは大きな違いがある。それゆえ彼らには何回か打たれたのだが、これはもちろん“公理”の為で、私の“党同伐異”とは違うからである。
かくして今に至るも完結せず、“来年まで待とう”とするほかない。
またある人は私に、このような短評はもう書くなと勧めて呉れる。その好意には大変感謝し、決して創作の貴重なことを知らないではない。しかしこのような事をする時は、やはりこのような事をしなければならない。もし芸術の殿堂にこんな面倒な禁令があるのなら、行かない方がましだ。やはり砂漠に立ち、飛砂流石を見、楽しかったら大笑し、悲しかったら大いに泣き叫び、憤れば大いに罵る。たとえ砂礫に打たれてボロボロになり、頭が傷つき血が流れても、ときどき自分の凝血をさすって、もしそれが花模様のように見えたら、
中国の文士たちとシェークスピアの御相伴で、バター付きパンを食べる愉しさよりましだろう。
しかるに一方で私の視界が狭いと怨みに思う。中国だけ取り上げてもこの一年、大事件もたくさんあったが、往々にしてそこにも言及しなかったので、なんの感触も無いように思われるだろう。私はかねてから、中国の青年が立ちあがって、中国の社会、文明に何ら忌憚のない批評をしてほしいと望み、「莽原週刊」を出して発言の場としたが、投稿者はたいへん少なかった。他の刊行物は大抵は反抗者に対する攻撃で、これは実に私にとっては、このまま続けられるか心配だった。
今、一年の最後の深夜、夜も尽きようとし、我が生命も少なくとも一部はすでにこの無聊の中に費消され、私の得た物は自分の魂の荒涼とすさんだ姿だ。しかし私はいささかもこれらを憚ったりしないし、隠そうとも思わない。実際、それらを愛おしくすら思う。これは私が輾転と風砂の中で、暮らしてきた結果だから。自分が風砂の中で、輾転と生活してきたと感じたから、この意味が会得できた。
「熱風」を編集したとき、遺漏以外は数編削除した。今回はこれと異なり、一時の雑感一類のものは全てここに収めた。
一九二五年十二月三十一日夜 緑林書屋東壁の下で
在一年的尽头的深夜中,整理了这一年所写的杂感,竟比收在《热风》里的整四年中所写的还要多。意见大部分还是那样,而态度却没有那么质直了,措辞也时常弯弯曲曲,议论又往往执滞在几件小事情上,很足以贻笑于大方之家。然而那又有什么法子呢。我今年偏遇到这些小事情,而偏有执滞于小事情的脾气。
我知道伟大的人物能洞见三世,观照一切,历大苦恼,尝大欢喜,发大慈悲。但我又知道这必须深入山林,坐古树下,静观默想,得天眼通,离人间愈远遥,而知人间也愈深,愈广;于是凡有言说,也愈高,愈大;于是而为天人师。我幼时虽曾梦想飞空,但至今还在地上,救小创伤尚且来不及,那有余暇使心开意豁,立论都公允妥洽,平正通达,像“正人君子”一般;正如沾水小蜂,只在泥土上爬来爬去,万不敢比附洋楼中的通人,但也自有悲苦愤激,决非洋楼中的通人所能领会。
这病痛的根柢就在我活在人间,又是一个常人,能够交着 “华盖运”。
我平生没有学过算命,不过听老年人说,人是有时要交“华盖运”的。这“华盖”在他们口头上大概已经讹作“镬盖”了,现在加以订正。所以,这运,在和尚是好运:顶有华盖,自然是成佛作祖之兆。但俗人可不行,华盖在上,就要给罩住了,只好碰钉子。我今年开手作杂感时,就碰了两个大钉子: 一是为了 《咬文嚼字》,一是为了《青年必读书》。署名和匿名的豪杰之士的骂信,收了一大捆,至今还塞在书架下。此后又突然遇见了一些所谓学者,文士,正人,君子等等,据说都是讲公话,谈公理,而且深不以“党同伐异”为然的。可惜我和他们太不同了,所以也就被他们伐了几下,——但这自然是为“公理”之故,和我的“党同伐异”不同。这样,一直到现下还没有完结,只好“以待来年”。
也有人劝我不要做这样的短评。那好意,我是很感激的,而且也并非不知道创作之可贵。然而要做这样的东西的时候,恐怕也还要做这样的东西,我以为如果艺术之宫里有这么麻烦的禁令,倒不如不进去;还是站在沙漠上,看看飞沙走石,乐则大笑,悲则大叫,愤则大骂,即使被沙砾打得遍身粗糙,头破血流,而时时抚摩自己的凝血,觉得若有花纹,也未必不及跟着中国的文士们去陪莎士比亚吃黄油面包之有趣。
然而只恨我的眼界小,单是中国,这一年的大事件也可以算是很多的了,我竟往往没有论及,似乎无所感触。我早就很希望中国的青年站出来,对于中国的社会,文明,都毫无忌惮地加以批评,因此曾编印《莽原周刊》,作为发言之地,可惜来说话的竟很少。在别的刊物上,倒大抵是对于反抗者的打击,这实在是使我怕敢想下去的。
现在是一年的尽头的深夜,深得这夜将尽了,我的生命,至少是一部分的生命,已经耗费在写这些无聊的东西中,而我所获得的,乃是我自己的灵魂的荒凉和粗糙。但是我并不惧惮这些,也不想遮盖这些,而且实在有些爱他们了。因为这是我转辗而生活于风沙中的瘢痕。凡有自己也觉得在风沙中转辗而生活着的,会知道这意思。
我编《热风》时,除遗漏的之外,又删去了好几篇。这一回却小有不同了,一时的杂感一类的东西,几乎都在这里面。
一九二五年十二月三十一日之夜,记于绿林书屋东壁下。
南極大陸
南半球の南極地方にあり、南氷洋に囲まれた南極圏に位置する。5番目に大きな大陸であり約1400万km2の面積は、オーストラリア大陸のほぼ2倍に相当する。約98%は氷で覆われ、その厚さは平均2.00325kmに及ぶ。
南極大陸は、平均気温が最も低く、乾燥し、強風に晒され、また平均海抜も最も高い大陸である。年間降水量が海岸部分で200mm、内陸ではさらに少ない砂漠と考えられる。南極大陸で観測された最低気温は、2018年7月に記録した-97.8°Cである。
この気温では人間が定住することは難しいが、約1000-5000人が大陸中に点在する研究所に年間を通して滞在している。
自然状態では、寒冷な環境に適応可能な生物のみが生存し、多くの藻類、ダニ・線虫やペンギン・鰭脚類・節足動物などの動物類、バクテリア、菌類、植物および原生生物が繁殖している。植生はツンドラである。
かつて、「南の地」を意味するテラ・アウストラリス (Terra Australis) という大陸が空想されていた南極域に、公式に大陸が存在する事が確認されたのは1820年にロシアの探検家ファビアン・ゴットリープ・フォン・ベリングスハウゼンとミハイル・ラザレフ(英語版)がボストーク号(en)とミールヌイ号(en)で行った遠征に端を発する。しかし、厳しい自然環境や、当時は資源が見つからなかった事、そして孤立的な地理条件から、19世紀中はほとんど注目されなかった。
1959年、12ヶ国の批准で始まった南極条約は、その後加盟国が53ヶ国にまで増えた。条約は、軍事的活動や鉱物採掘や核爆発や核廃棄物の発生の禁止、各国家による領域主権主張の凍結、科学的研究の支援と生物地理区としての保護を定めた。多くの国から派遣された科学者たちが、研究や実験を行っている。
地理
南極大陸は、南極点の周囲に非対称的に広がり、おおむね南極圏の南側に位置する世界最南の大陸である。周囲を南氷洋が取り囲んでいる。あるいは太平洋・大西洋・インド洋の南端、もしくは世界大洋の南端が取り囲んでいるとも言える。
面積は1400万km2で大陸としては5番目に当り、ヨーロッパ大陸の1.3倍に相当する。最高峰はエルスワース山脈にある海抜4,892mのヴィンソン・マシフである。海岸線17,968kmは、以下の表で示される通り、ほとんどが氷で閉ざされている。
南極大陸地表の約98%は、南極氷床で覆われており、その厚みは平均1.6km以上に達する。地球上の氷の90%が南極大陸に集中しており、その結果淡水の70%が存在していることになる。もし全ての氷が解けると、海水面は約60m上昇する。内陸の降水量は年間20mm以下と非常に少ない。ブルー・アイスと呼ばれる特徴的な地域は、降水量よりも昇華によって失われる水の量の方が多い場所である。
南極大陸には70を超える湖が大陸氷床の下に存在する。ボストーク湖は、1996年にロシアのボストーク基地直下に発見された最大の氷底湖である。これは50-100万年前に氷によって封鎖されたものと考えられていたが、最近の調査では他の湖へ大きな水の流れのあることが判明した。
西南極と東南極
南極大陸は、ロス海とウェッデル海岸を繋いだ南極横断山脈で二分される。ウェッデル海西側とロス海東側に挟まれた西半球にある地域は西南極 (West Antarctica) と呼ばれ、残りの東半球にある地域は東南極 (East Antarctica) と呼ばれる。この東西の呼び分けは、それぞれがグリニッジ子午線に対しておおよそ西と東にある事を理由とする便宜上のものである。
西南極は西南極氷床で覆われている。この氷床はわずかながらも崩壊する可能性が指摘され、注目を集めている。もし崩壊すれば数世紀単位で起こる緩やかなものながら、何メートルかの海面上昇に繋がると考えられる。氷床の10%に相当するいくつかの南極氷河流は、南極棚氷のひとつに流れ注いでいる。
東南極は南極横断山脈から見てインド洋側にあり、中にはコーツランド、ドロンニング・モード・ランド、マック・ロバートソン・ランド、エンダービーランド、ウィルクスランド、ヴィクトリアランドが広がる。ほとんどの領域は東半球にある。そして、広い面積を東南極氷床で覆われている。
南極の火山
南極大陸や周辺諸島には多くの山々や火山帯がある。火山帯は2つあり、マクマード入江付近のものとサウスシェトランド諸島付近のものである。この内マクマード入江の火山群はホットスポットであり、サウスシェトランド諸島の火山群はプレートの沈み込み口である。ロス島のエレバス山は世界で最も南にある活火山であり、マクマード入江の火山群に含まれる。南極にあるもう一つの活火山はサウスシェトランド諸島のデセプション島であり、1970年に噴火を起こし、その後も温泉や小規模な噴火が確認され、今後も噴火の可能性がある。
休火山の中にも再噴火の可能性は否定できないものがある。2004年、南極半島で海底火山がアメリカとカナダの研究チームにより確認された。最近の研究でも、この無名の火山が活動している可能性を示す証拠が見つかった。
生物
南極大陸に生きる陸生脊椎動物は非常に少ない。無脊椎動物では、南極ササラダニなど5種類のダニ、ハジラミ、線形動物、緩歩動物、輪形動物、オキアミ、トビムシ目などがいる。体長6mmにもならない飛べない小虫のナンキョクユスリカは、南極大陸に広く分布する固有種である。ユキドリは、南極大陸でもっぱら繁殖活動を行う3種の鳥のひとつである。
植物プランクトンを餌とする海洋生物は多様に存在する。南極には、ペンギン、シロナガスクジラ、シャチ、ダイオウホウズキイカ、オットセイ、アザラシなどが棲息している。亜南極域を含めると、ペンギンはコウテイペンギン・アデリーペンギン・キングペンギン(オウサマペンギン)・ヒゲペンギンなど8種類が棲息している。
18-19世紀にはアメリカやイギリスの狩猟者によって、ナンキョクオットセイが乱獲された。イギリスのアザラシ狩猟者でありウェッデル海へ遠征したジェームズ・ウェッデルから名を取ったウェッデルアザラシを始め、南極にはヒョウアザラシ、カニクイアザラシ、ロスアザラシ、ミナミゾウアザラシの5種類がいる。大規模な群れをつくるナンキョクオキアミは、南氷洋における生態系のキーストーン種であり、アザラシ、イカ、ノトテニア亜目、ペンギン、アホウドリ科など鳥類にとって重要な餌となる。
500人規模の研究者が投入された海洋生物に対する調査が国際極年に行われ、結果が2010年に纏められた。この研究は海洋生物センサス(CoML)の一環であり、有意義な報告を含んでいた。12000kmの隔たりを持つ南北両極には250種以上の生物が存在する。クジラや鳥など、大型の生物は周遊を行う。驚くべき事には、蠕虫やナマコまた遊泳するカタツムリなどが両極海洋部で発見された。このような分布状況が生じた要因は複数考えられる。両極と赤道域を繋いで流れる海洋深層水は温度変化がさほど激しく無く、差異は5℃を上回らない。この熱塩循環が卵や幼虫を運んだという考えもある。
凍りつく気温、痩せた土壌、乾燥、光量の不足などの厳しい条件下では、南極大陸で繁殖できる植物は非常に限られてくる。地表に生える藻類や地衣類を含む菌類以外では、約100種の蘚類や25種の苔類などコケ植物が大陸に広く分布し、顕花植物に至っては南極半島で見られるナンキョクコメススキとナンキョクミドリナデシコの2種類しか存在しない。成長する季節は夏のみ、期間は長くとも2-3週間に限られる。しかし、地球温暖化の進行に伴いスズメノカタビラの帰化が確認されるなどしている。
菌類は1150種が確認され、400種が地衣類、750種がそれ以外である。中には、厳しい環境に対応した岩石内微生物の種もいる。藻類も数百種存在するが、ほとんどは植物プランクトンである。夏の期間、さまざまな氷雪藻や珪藻が沿岸水域で豊富に繁殖する。近年、氷河の下になる深いところから、古代生態系に属する複数のバクテリアが生きた状態で発見された。独立栄養生物の集団はほとんどが原生生物で占められている。
保護
環境保護に関する南極条約議定書(マドリッド協定書)が1998年に発効され、南極の生物多様性の保護と管理に関する主要な手段となった。南極条約協議会は、環境保全委員会から環境や保護に関する勧告を受ける。委員会は特に、域外から意図せざる外来生物が南極大陸に持ち込まれる事のリスクに注意を払っている。
1978年、アメリカはAntarctic Conservation Actを採択し、南極大陸における自国の活動に制限を加えるようになった。これは、外来動物や植物の持ち込みに刑事罰を加えられる。また、南極の生態系において大きな位置を占めるオキアミの乱獲には、漁業方法を公的に制定する事で対処している。1980年に発効された南極の海洋生物資源の保存に関する条約 (CCAMLR) は、南極全体の生態系に及ぼす潜在的な影響を考慮し、南氷洋で操業するすべての漁業活動を制御するよう定めている。このような新たな取り組みにもかかわらず、野放しや密漁は止まず、特にマジェランアイナメはチリ沿岸産と偽ってアメリカ市場で売られるなど深刻な問題となっている。アイナメの密漁は増加し、2000年には32,000トンが乱獲された。
南半球の南極地方にあり、南氷洋に囲まれた南極圏に位置する。5番目に大きな大陸であり約1400万km2の面積は、オーストラリア大陸のほぼ2倍に相当する。約98%は氷で覆われ、その厚さは平均2.00325kmに及ぶ。
南極大陸は、平均気温が最も低く、乾燥し、強風に晒され、また平均海抜も最も高い大陸である。年間降水量が海岸部分で200mm、内陸ではさらに少ない砂漠と考えられる。南極大陸で観測された最低気温は、2018年7月に記録した-97.8°Cである。
この気温では人間が定住することは難しいが、約1000-5000人が大陸中に点在する研究所に年間を通して滞在している。
自然状態では、寒冷な環境に適応可能な生物のみが生存し、多くの藻類、ダニ・線虫やペンギン・鰭脚類・節足動物などの動物類、バクテリア、菌類、植物および原生生物が繁殖している。植生はツンドラである。
かつて、「南の地」を意味するテラ・アウストラリス (Terra Australis) という大陸が空想されていた南極域に、公式に大陸が存在する事が確認されたのは1820年にロシアの探検家ファビアン・ゴットリープ・フォン・ベリングスハウゼンとミハイル・ラザレフ(英語版)がボストーク号(en)とミールヌイ号(en)で行った遠征に端を発する。しかし、厳しい自然環境や、当時は資源が見つからなかった事、そして孤立的な地理条件から、19世紀中はほとんど注目されなかった。
1959年、12ヶ国の批准で始まった南極条約は、その後加盟国が53ヶ国にまで増えた。条約は、軍事的活動や鉱物採掘や核爆発や核廃棄物の発生の禁止、各国家による領域主権主張の凍結、科学的研究の支援と生物地理区としての保護を定めた。多くの国から派遣された科学者たちが、研究や実験を行っている。
地理
南極大陸は、南極点の周囲に非対称的に広がり、おおむね南極圏の南側に位置する世界最南の大陸である。周囲を南氷洋が取り囲んでいる。あるいは太平洋・大西洋・インド洋の南端、もしくは世界大洋の南端が取り囲んでいるとも言える。
面積は1400万km2で大陸としては5番目に当り、ヨーロッパ大陸の1.3倍に相当する。最高峰はエルスワース山脈にある海抜4,892mのヴィンソン・マシフである。海岸線17,968kmは、以下の表で示される通り、ほとんどが氷で閉ざされている。
南極大陸地表の約98%は、南極氷床で覆われており、その厚みは平均1.6km以上に達する。地球上の氷の90%が南極大陸に集中しており、その結果淡水の70%が存在していることになる。もし全ての氷が解けると、海水面は約60m上昇する。内陸の降水量は年間20mm以下と非常に少ない。ブルー・アイスと呼ばれる特徴的な地域は、降水量よりも昇華によって失われる水の量の方が多い場所である。
南極大陸には70を超える湖が大陸氷床の下に存在する。ボストーク湖は、1996年にロシアのボストーク基地直下に発見された最大の氷底湖である。これは50-100万年前に氷によって封鎖されたものと考えられていたが、最近の調査では他の湖へ大きな水の流れのあることが判明した。
西南極と東南極
南極大陸は、ロス海とウェッデル海岸を繋いだ南極横断山脈で二分される。ウェッデル海西側とロス海東側に挟まれた西半球にある地域は西南極 (West Antarctica) と呼ばれ、残りの東半球にある地域は東南極 (East Antarctica) と呼ばれる。この東西の呼び分けは、それぞれがグリニッジ子午線に対しておおよそ西と東にある事を理由とする便宜上のものである。
西南極は西南極氷床で覆われている。この氷床はわずかながらも崩壊する可能性が指摘され、注目を集めている。もし崩壊すれば数世紀単位で起こる緩やかなものながら、何メートルかの海面上昇に繋がると考えられる。氷床の10%に相当するいくつかの南極氷河流は、南極棚氷のひとつに流れ注いでいる。
東南極は南極横断山脈から見てインド洋側にあり、中にはコーツランド、ドロンニング・モード・ランド、マック・ロバートソン・ランド、エンダービーランド、ウィルクスランド、ヴィクトリアランドが広がる。ほとんどの領域は東半球にある。そして、広い面積を東南極氷床で覆われている。
南極の火山
南極大陸や周辺諸島には多くの山々や火山帯がある。火山帯は2つあり、マクマード入江付近のものとサウスシェトランド諸島付近のものである。この内マクマード入江の火山群はホットスポットであり、サウスシェトランド諸島の火山群はプレートの沈み込み口である。ロス島のエレバス山は世界で最も南にある活火山であり、マクマード入江の火山群に含まれる。南極にあるもう一つの活火山はサウスシェトランド諸島のデセプション島であり、1970年に噴火を起こし、その後も温泉や小規模な噴火が確認され、今後も噴火の可能性がある。
休火山の中にも再噴火の可能性は否定できないものがある。2004年、南極半島で海底火山がアメリカとカナダの研究チームにより確認された。最近の研究でも、この無名の火山が活動している可能性を示す証拠が見つかった。
生物
南極大陸に生きる陸生脊椎動物は非常に少ない。無脊椎動物では、南極ササラダニなど5種類のダニ、ハジラミ、線形動物、緩歩動物、輪形動物、オキアミ、トビムシ目などがいる。体長6mmにもならない飛べない小虫のナンキョクユスリカは、南極大陸に広く分布する固有種である。ユキドリは、南極大陸でもっぱら繁殖活動を行う3種の鳥のひとつである。
植物プランクトンを餌とする海洋生物は多様に存在する。南極には、ペンギン、シロナガスクジラ、シャチ、ダイオウホウズキイカ、オットセイ、アザラシなどが棲息している。亜南極域を含めると、ペンギンはコウテイペンギン・アデリーペンギン・キングペンギン(オウサマペンギン)・ヒゲペンギンなど8種類が棲息している。
18-19世紀にはアメリカやイギリスの狩猟者によって、ナンキョクオットセイが乱獲された。イギリスのアザラシ狩猟者でありウェッデル海へ遠征したジェームズ・ウェッデルから名を取ったウェッデルアザラシを始め、南極にはヒョウアザラシ、カニクイアザラシ、ロスアザラシ、ミナミゾウアザラシの5種類がいる。大規模な群れをつくるナンキョクオキアミは、南氷洋における生態系のキーストーン種であり、アザラシ、イカ、ノトテニア亜目、ペンギン、アホウドリ科など鳥類にとって重要な餌となる。
500人規模の研究者が投入された海洋生物に対する調査が国際極年に行われ、結果が2010年に纏められた。この研究は海洋生物センサス(CoML)の一環であり、有意義な報告を含んでいた。12000kmの隔たりを持つ南北両極には250種以上の生物が存在する。クジラや鳥など、大型の生物は周遊を行う。驚くべき事には、蠕虫やナマコまた遊泳するカタツムリなどが両極海洋部で発見された。このような分布状況が生じた要因は複数考えられる。両極と赤道域を繋いで流れる海洋深層水は温度変化がさほど激しく無く、差異は5℃を上回らない。この熱塩循環が卵や幼虫を運んだという考えもある。
凍りつく気温、痩せた土壌、乾燥、光量の不足などの厳しい条件下では、南極大陸で繁殖できる植物は非常に限られてくる。地表に生える藻類や地衣類を含む菌類以外では、約100種の蘚類や25種の苔類などコケ植物が大陸に広く分布し、顕花植物に至っては南極半島で見られるナンキョクコメススキとナンキョクミドリナデシコの2種類しか存在しない。成長する季節は夏のみ、期間は長くとも2-3週間に限られる。しかし、地球温暖化の進行に伴いスズメノカタビラの帰化が確認されるなどしている。
菌類は1150種が確認され、400種が地衣類、750種がそれ以外である。中には、厳しい環境に対応した岩石内微生物の種もいる。藻類も数百種存在するが、ほとんどは植物プランクトンである。夏の期間、さまざまな氷雪藻や珪藻が沿岸水域で豊富に繁殖する。近年、氷河の下になる深いところから、古代生態系に属する複数のバクテリアが生きた状態で発見された。独立栄養生物の集団はほとんどが原生生物で占められている。
保護
環境保護に関する南極条約議定書(マドリッド協定書)が1998年に発効され、南極の生物多様性の保護と管理に関する主要な手段となった。南極条約協議会は、環境保全委員会から環境や保護に関する勧告を受ける。委員会は特に、域外から意図せざる外来生物が南極大陸に持ち込まれる事のリスクに注意を払っている。
1978年、アメリカはAntarctic Conservation Actを採択し、南極大陸における自国の活動に制限を加えるようになった。これは、外来動物や植物の持ち込みに刑事罰を加えられる。また、南極の生態系において大きな位置を占めるオキアミの乱獲には、漁業方法を公的に制定する事で対処している。1980年に発効された南極の海洋生物資源の保存に関する条約 (CCAMLR) は、南極全体の生態系に及ぼす潜在的な影響を考慮し、南氷洋で操業するすべての漁業活動を制御するよう定めている。このような新たな取り組みにもかかわらず、野放しや密漁は止まず、特にマジェランアイナメはチリ沿岸産と偽ってアメリカ市場で売られるなど深刻な問題となっている。アイナメの密漁は増加し、2000年には32,000トンが乱獲された。
#jp-s#
まだ 見ぬ 最愛
堂本剛
まだ見ぬ最愛…運命のひとよ
いったい何処で
勿体振って過ごしているんだ
逢えない現在(いま)も心地良くはあるけど
この人生へそろそろ迷い込んで
最愛な甘いファンク轟かせよう
赤いいろした甘いファンク
未来へ鳴らそう
赤いいろしたファンク
まだ見ぬ最愛…運命のひとよ
今頃 誰と見つめ合っているんだ
ファンクのLPのジャケットを見ながら
そんな妄想と待ちくたびれ…変態
最愛な甘いファンク轟かせよう
赤いいろした甘いファンク
未来へ鳴らそう
赤いいろしたファンク
まだ見ぬ最愛…運命のひとよ
恋を飛ばしていきなり愛しよう
周り等(ら)はウェディング
僕と言えばファンキーグルーヴ
見つけたらリフの前に口づけたい
最愛な愛で…
廻り逢う日へとすべてが近づいてる
僕たちの狭間に住む物語り(ストーリー)ごと
太陽と月があと何度 幾度と
沈み浮かんだらひとつに成るだろう
出逢いと別れと再会と生きてる
誰もが誰かの人生を救えるんだから
募る孤独から感謝も学んでる
いちどきりの今日に感激して泣く
最愛な甘いファンク轟かせよう
赤いいろした甘いファンク
鼓動へ鳴らそう
赤いいろしたファンク
まだ見ぬあした…運命のいまと
社会的ではない結び目を作ろう
偽り生きれば勝率は上がるだろう
確信 生きれば偽りが手を振るでしょう
偽り見放し仲間を外れよう
仲間外れと云う仲間とファンクしよう
確信だらけに囲まれ輪を描こう
赤くて愛しい円(まどか)
シャーマニッポン…
最愛な甘いファンク轟かせよう
赤いいろした甘いファンク
最愛な甘い愛を轟かせよう
赤いいろした甘いファンク
いまへ 赤いいろした甘いファンク
いまへ 赤いいろした甘いファンク…生きよう
この音の先に必ず君は居る
気長に待っていよう
すなわち… ファンクしよう
難しいコードをひたすらと忘れよう
愛は求めない ただそれ鳴らそう
まだ見ぬ最愛…運命のひとよ
儚い場所から君を想っているよ
まだ見ぬ最愛…運命のひとよ
儚い場所(ここ)から君を想っているよ
まだ見ぬ最愛…運命の君よ
届いているだろう?僕らの日々が
二度なら有り得ない限られた命を
愛で塗りたくる僕らの日々が
音符が湧き出て 体が潤んでく
濡れ濡れて揺れよう
さぁファンクしよう
まだ見ぬ最愛…運命の君よ
ふたりと仲間でいずれはファンクしよう
逢えないで甘いファンク轟かせよう
赤いいろした甘いファンク
最愛な甘いファンク轟かせよう
赤いいろした甘いファンク
未来へ鳴らそう
赤いいろしたファンク
ぼくらの
赤い とてつもなく 赤い ファンク
-----------
9专,本人按头安利。8专还没搞完。
まだ 見ぬ 最愛
堂本剛
まだ見ぬ最愛…運命のひとよ
いったい何処で
勿体振って過ごしているんだ
逢えない現在(いま)も心地良くはあるけど
この人生へそろそろ迷い込んで
最愛な甘いファンク轟かせよう
赤いいろした甘いファンク
未来へ鳴らそう
赤いいろしたファンク
まだ見ぬ最愛…運命のひとよ
今頃 誰と見つめ合っているんだ
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最愛な甘いファンク轟かせよう
赤いいろした甘いファンク
未来へ鳴らそう
赤いいろしたファンク
まだ見ぬ最愛…運命のひとよ
恋を飛ばしていきなり愛しよう
周り等(ら)はウェディング
僕と言えばファンキーグルーヴ
見つけたらリフの前に口づけたい
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廻り逢う日へとすべてが近づいてる
僕たちの狭間に住む物語り(ストーリー)ごと
太陽と月があと何度 幾度と
沈み浮かんだらひとつに成るだろう
出逢いと別れと再会と生きてる
誰もが誰かの人生を救えるんだから
募る孤独から感謝も学んでる
いちどきりの今日に感激して泣く
最愛な甘いファンク轟かせよう
赤いいろした甘いファンク
鼓動へ鳴らそう
赤いいろしたファンク
まだ見ぬあした…運命のいまと
社会的ではない結び目を作ろう
偽り生きれば勝率は上がるだろう
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偽り見放し仲間を外れよう
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確信だらけに囲まれ輪を描こう
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いまへ 赤いいろした甘いファンク
いまへ 赤いいろした甘いファンク…生きよう
この音の先に必ず君は居る
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まだ見ぬ最愛…運命のひとよ
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まだ見ぬ最愛…運命の君よ
届いているだろう?僕らの日々が
二度なら有り得ない限られた命を
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音符が湧き出て 体が潤んでく
濡れ濡れて揺れよう
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まだ見ぬ最愛…運命の君よ
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赤いいろした甘いファンク
最愛な甘いファンク轟かせよう
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未来へ鳴らそう
赤いいろしたファンク
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