#乙女漫画[超话]#墨入り幼なじみの束縛がツライ
这真的太帅了!!awsl愛染マナ太太的画风好绝[鼓掌]新作日文
社会人1年目の七瀬は束縛の激しい彫り師の幼なじみ・瑠偉に悩まされている。
過保護で心配性で…とにかく束縛が強い! そんなふたりは同棲5年目に突入。
だけど、恋人ではない。七瀬は瑠偉のことが好きだけど、とある理由から瑠偉には自分の想いを伝えられずにいた。
そんなある日、瑠偉が尊敬する勤め先の店長が女性であることを知り、出来心から職場に行ってみることにしたが――…?
【墨入り束縛男子】×【一途で不器用なOL】
重たくてピュアな愛をカラダに刻みこんで――…♪
这真的太帅了!!awsl愛染マナ太太的画风好绝[鼓掌]新作日文
社会人1年目の七瀬は束縛の激しい彫り師の幼なじみ・瑠偉に悩まされている。
過保護で心配性で…とにかく束縛が強い! そんなふたりは同棲5年目に突入。
だけど、恋人ではない。七瀬は瑠偉のことが好きだけど、とある理由から瑠偉には自分の想いを伝えられずにいた。
そんなある日、瑠偉が尊敬する勤め先の店長が女性であることを知り、出来心から職場に行ってみることにしたが――…?
【墨入り束縛男子】×【一途で不器用なOL】
重たくてピュアな愛をカラダに刻みこんで――…♪
#勇气信念决胜个站[超话]##beyooooonds[超话]#
【20210501平井美葉ameba博客搬运】
ヒカルについて書いたよ 平井美葉
こんばんは〜★彡
皆さんのいいね、コメント
いつもありがとうございます♂️♂️♂️
ぜぇ〜んぶ読ませていただいていますよぉ
幸せたいむ〜(о´∀`о)
さて今日の14時に演劇女子部「眠れる森のビヨ」の配信が終了しましたね
それさえ寂しい…_(:3」z)_
それでですね、配信期間が終わったということで千秋楽の日のブログで書ききれなかったことを書きたいのですが、若干ネタバレになること含まれてるかもなんですけど…いいですか?
皆さんが今までネタバレに気をつけて感想とか書いてくださっていたのにアレなんですけど、このタイミングで言いたいんです
本当にごめんなさい!
「ちょ!やめろやぁ〜!」って方や「まだ観てないけど円盤で観るつもりだから〜!」って方はお知らせコーナーまで、ばびゅーんと一気に最後までスクロールしてくださいませ♂️
そして、そこから少しずつお知らせコーナーまで戻っていただいて、そこから下は通常運転ブログなので!
それではいきますよ⚠️
いきますからね?
この15公演。
全く同じにやった公演は1回もなかったです。
まぁ、そもそも舞台はナマモノだし、そうっちゃそうなんですけど…。
私だけではなく、みんなも、ニュアンス・間の取り方などいつも変化してたように思います。
事前に変わるところあらかじめ全部決めてるわけでもなくて
(回替わりのシーンとかは、ある程度は打ち合わせしてたと思うけどね!)
でも、お互いがちゃんとそれをその場で受け取ってその場で返した。
決まった演技じゃなくて、そこにリアルタイムで生きていたからこそできたんだなと思います。
良いところはさらに良く。
少しでもまだ突き詰められるなと感じたところはしっくりくるまでさらに考えて挑戦する。
その役としての振る舞いや自分のセリフがないときの動き、その間誰と絡むかなどはほぼ自分たちで考えて、実際に動いてみて、次第に固まっていったという感じです。
また、冒頭とラストにあるヒカルのソロに関しては、「自分が思うように動いて表現していいから」と言っていただいたのをすごく覚えています。
結局、ラストのソロからモノローグまでの流れのなかで、ベンチの上手側にいるということ以外、中島さんから指定されたことはひとつもありませんでした。
中島さんは私達をすごく自由に、その役としての人生を楽しみながら、苦しみながら、取り組ませてくださって、そしてちゃんと導いてくれて…。
本当にすごくすごく有り難かったです!
それでね、体感的にはね。
この公演期間の前半は、私はヒカルそのものだったんです。
舞台上だけで成立する世界。
それ以外の空間は置いてけぼり。
(↑だったのかなって色々考えてあとで思いました。)
それも1つの“正解”…というか“答え”…というか“形”だなって自信をもって言えます。
間違いなく真摯に全力だったから。
涙が止まらなくて、感情が体中を駆け巡って、溢れかえる感覚。
そこから、稽古期間中には出来なかったヒカルとして「こうしたい」という動きや仕草を見つけられました。
そして後半は、それを全て踏まえた上で「ヒカルという1人の人物を表現する」という感じに変わりました。
変えたいって思ったわけじゃなくて、
突然“変わっちゃった”という方が近いですが。
最初は慣れない感覚に戸惑って、ヒカルに突き放された気分で、私はもうダメだ。って思いました。
でも、メンバーに支えてもらって、しおりんやこば、石田さん、舞台監督さんにもいろいろ相談して、自分なりに解釈しました。
これはもう一つのヒカルの“形”なんだって。
でも、そう思えるようになってからは肩の力も抜けて、「いかに届けるか」と「ヒカルそのものでいること」をすごくいいバランスで両立できた気がします。
千秋楽の2公演とか特に。
でもね、一貫して言えるのは
初日から千秋楽まで一瞬たりとも気を抜くことなく、全身全霊でヒカルだったということです。
永遠になればいいのに。
この幸せで尊い空間が。
でも時間は戻らないし、止まらないし、進むばかりの一方通行。
それにまだまだみんなで見たい景色がある。
今のこの瞬間を大切に。
後悔しないように、ちゃんと一生懸命「ありがとう」と「大好き」と「愛してる」を伝える。
Ningenやっぱこれが大事だよな!
りかちゃんが写ルンですで撮って現像してくれました
めっちゃ良い写真!
お知らせです
(今日は特別仕様で大きくしました)
BEYOOOOONDS 2ndシングルが3月3日にリリースしました㊗️
「激辛LOVE」
「Now Now Ningen」
「こんなハズジャナカッター!」
のトリプルA面シングルです‼️
なんと「ビタミンME」も収録されています
さらには各ユニットごとの新曲も
通常盤A
⚔雨ノ森 川海「ヤバイ恋の刃」
通常盤B
SeasoningS「ワタシと踊りなさい!」
通常盤C
CHICA#TETSU「二年前の横浜駅西口」
沢山聴いてね
Hello! Project 2021 春「花鳥風月」
次は5月2日の福岡公演!
お待ちしてます
‼️通常運転ブログはここから‼️
はい!
ということで、今日は「GWだよ!六本木アイドルフェスティバル」にBEYOOOOONDSが出演させていただきました〜✨✨
皆さん、見ていただけましたか??
東京女子流さんとのツーマンライブっっ
12人でビヨーンズの楽曲をパフォーマンスするのはちょっこし久しぶりだったので、ワクワクドキドキでした_(:3z)_
でも、いざ始まってみると
とっても楽しくてあっという間でした☺️
ひなフェスで初めて着た、おにゅーの衣装だったしね!
というか!
久しぶりに分け目を変えました!
ヒカルではずっとセンター分けだったのでね
センター分けは皆さんからも、メンバーからも、先輩方からもたくさん褒めてもらえてめちゃ嬉しかった〜好き〜
でも分け目を変えるとより髪が短く見えるのはなんでですかね?
あれから切ってないのになぁ…
なんでだろ?
おまけDAYOOOOON
明日のために、早く寝るぞ〜!
明日も一緒に頑張ってみよ〜
それでは本日はこのへんで!
また明日!びよ〜〜〜〜〜んっ
【20210501平井美葉ameba博客搬运】
ヒカルについて書いたよ 平井美葉
こんばんは〜★彡
皆さんのいいね、コメント
いつもありがとうございます♂️♂️♂️
ぜぇ〜んぶ読ませていただいていますよぉ
幸せたいむ〜(о´∀`о)
さて今日の14時に演劇女子部「眠れる森のビヨ」の配信が終了しましたね
それさえ寂しい…_(:3」z)_
それでですね、配信期間が終わったということで千秋楽の日のブログで書ききれなかったことを書きたいのですが、若干ネタバレになること含まれてるかもなんですけど…いいですか?
皆さんが今までネタバレに気をつけて感想とか書いてくださっていたのにアレなんですけど、このタイミングで言いたいんです
本当にごめんなさい!
「ちょ!やめろやぁ〜!」って方や「まだ観てないけど円盤で観るつもりだから〜!」って方はお知らせコーナーまで、ばびゅーんと一気に最後までスクロールしてくださいませ♂️
そして、そこから少しずつお知らせコーナーまで戻っていただいて、そこから下は通常運転ブログなので!
それではいきますよ⚠️
いきますからね?
この15公演。
全く同じにやった公演は1回もなかったです。
まぁ、そもそも舞台はナマモノだし、そうっちゃそうなんですけど…。
私だけではなく、みんなも、ニュアンス・間の取り方などいつも変化してたように思います。
事前に変わるところあらかじめ全部決めてるわけでもなくて
(回替わりのシーンとかは、ある程度は打ち合わせしてたと思うけどね!)
でも、お互いがちゃんとそれをその場で受け取ってその場で返した。
決まった演技じゃなくて、そこにリアルタイムで生きていたからこそできたんだなと思います。
良いところはさらに良く。
少しでもまだ突き詰められるなと感じたところはしっくりくるまでさらに考えて挑戦する。
その役としての振る舞いや自分のセリフがないときの動き、その間誰と絡むかなどはほぼ自分たちで考えて、実際に動いてみて、次第に固まっていったという感じです。
また、冒頭とラストにあるヒカルのソロに関しては、「自分が思うように動いて表現していいから」と言っていただいたのをすごく覚えています。
結局、ラストのソロからモノローグまでの流れのなかで、ベンチの上手側にいるということ以外、中島さんから指定されたことはひとつもありませんでした。
中島さんは私達をすごく自由に、その役としての人生を楽しみながら、苦しみながら、取り組ませてくださって、そしてちゃんと導いてくれて…。
本当にすごくすごく有り難かったです!
それでね、体感的にはね。
この公演期間の前半は、私はヒカルそのものだったんです。
舞台上だけで成立する世界。
それ以外の空間は置いてけぼり。
(↑だったのかなって色々考えてあとで思いました。)
それも1つの“正解”…というか“答え”…というか“形”だなって自信をもって言えます。
間違いなく真摯に全力だったから。
涙が止まらなくて、感情が体中を駆け巡って、溢れかえる感覚。
そこから、稽古期間中には出来なかったヒカルとして「こうしたい」という動きや仕草を見つけられました。
そして後半は、それを全て踏まえた上で「ヒカルという1人の人物を表現する」という感じに変わりました。
変えたいって思ったわけじゃなくて、
突然“変わっちゃった”という方が近いですが。
最初は慣れない感覚に戸惑って、ヒカルに突き放された気分で、私はもうダメだ。って思いました。
でも、メンバーに支えてもらって、しおりんやこば、石田さん、舞台監督さんにもいろいろ相談して、自分なりに解釈しました。
これはもう一つのヒカルの“形”なんだって。
でも、そう思えるようになってからは肩の力も抜けて、「いかに届けるか」と「ヒカルそのものでいること」をすごくいいバランスで両立できた気がします。
千秋楽の2公演とか特に。
でもね、一貫して言えるのは
初日から千秋楽まで一瞬たりとも気を抜くことなく、全身全霊でヒカルだったということです。
永遠になればいいのに。
この幸せで尊い空間が。
でも時間は戻らないし、止まらないし、進むばかりの一方通行。
それにまだまだみんなで見たい景色がある。
今のこの瞬間を大切に。
後悔しないように、ちゃんと一生懸命「ありがとう」と「大好き」と「愛してる」を伝える。
Ningenやっぱこれが大事だよな!
りかちゃんが写ルンですで撮って現像してくれました
めっちゃ良い写真!
お知らせです
(今日は特別仕様で大きくしました)
BEYOOOOONDS 2ndシングルが3月3日にリリースしました㊗️
「激辛LOVE」
「Now Now Ningen」
「こんなハズジャナカッター!」
のトリプルA面シングルです‼️
なんと「ビタミンME」も収録されています
さらには各ユニットごとの新曲も
通常盤A
⚔雨ノ森 川海「ヤバイ恋の刃」
通常盤B
SeasoningS「ワタシと踊りなさい!」
通常盤C
CHICA#TETSU「二年前の横浜駅西口」
沢山聴いてね
Hello! Project 2021 春「花鳥風月」
次は5月2日の福岡公演!
お待ちしてます
‼️通常運転ブログはここから‼️
はい!
ということで、今日は「GWだよ!六本木アイドルフェスティバル」にBEYOOOOONDSが出演させていただきました〜✨✨
皆さん、見ていただけましたか??
東京女子流さんとのツーマンライブっっ
12人でビヨーンズの楽曲をパフォーマンスするのはちょっこし久しぶりだったので、ワクワクドキドキでした_(:3z)_
でも、いざ始まってみると
とっても楽しくてあっという間でした☺️
ひなフェスで初めて着た、おにゅーの衣装だったしね!
というか!
久しぶりに分け目を変えました!
ヒカルではずっとセンター分けだったのでね
センター分けは皆さんからも、メンバーからも、先輩方からもたくさん褒めてもらえてめちゃ嬉しかった〜好き〜
でも分け目を変えるとより髪が短く見えるのはなんでですかね?
あれから切ってないのになぁ…
なんでだろ?
おまけDAYOOOOON
明日のために、早く寝るぞ〜!
明日も一緒に頑張ってみよ〜
それでは本日はこのへんで!
また明日!びよ〜〜〜〜〜んっ
采访:声優業への感謝と愛。ミュージカルの世界にいる喜び。平野 綾の現在・過去・未来(二)
https://t.cn/AiTyRJXt
今年6月の『ランティス祭り2019』では、キョン役の杉田智和さん、古泉一樹役の小野大輔さんも加わって、SOS団5人で復活を遂げました。
杉田さんや小野さんも含めて、『ハルヒ』の絆ってすごく強くて。大変な時期をみんなで乗り越えた仲間という感覚があるので、ホントに大事なメンバーです。
私だけじゃないと思うんですけど、『ハルヒ』をきっかけに、みんなの人生が変わっちゃった感があって。
ハルヒを演じていたとき、18歳くらいですよね?
はい。作品が大きくなってひとり歩きし始めて、私たちは大きな波に飲まれてどこに行くかわからないまま、一気にいろんなことが押し寄せてきて。
今でこそ声優さんがいろいろな分野で活躍していますけど、当時は、まさか武道館デビューするとは想像もしていませんでした。海外のフェスで『ハレ晴レユカイ』を披露することになったり、『涼宮ハルヒの激奏』(大宮ソニックシティでのライブイベント)では「フルライブをやるから」と言われて、「え? それは、ぜんぶ歌ってぜんぶ踊るんですか?」って聞いたり。
今振り返ってみても、忙しすぎて限界ギリギリのなか、なんとか必死に乗り越えたという感じでした。
『ハルヒ』のメンバーと再会すると、「当時は大変だったよね」って盛り上がります(笑)。「こんなことあったよね?」「あった、あった!」って。
今はようやく落ち着いて…?
そうですね。あの頃はとにかく時間が足りなくて、それが悔しくて。あの時期にしか出せないよさがあったでしょうし、命をかけてやっていましたけど、「今持っているものをぜんぶ出し切るしかない」って乗り切ってきちゃったので。
今は、余裕を持ってひとつひとつお仕事に取り組むことができています。じっくり考えて、理解して、納得して。自分にはこういうやり方が合っていたんだなと思いますね。
幼少期に初めて抱いた夢は「ミュージカルスターになりたい」
ここからは、平野さんとミュージカルについてうかがいます。小さな頃からミュージカルがお好きだったんですよね?
子どもの頃、父の仕事の関係でニューヨークに住んでいて、ブロードウェイ・ミュージカルがきっかけでした。初めて抱いた夢が「ミュージカルスターになりたい」。絵日記とかにも描いてたんですよ。でもその絵は、ブロードウェイというよりは宝塚みたいなメイクだったんですけど(笑)。ショーアップされた華やかな世界に憧れていましたね。
8歳頃からアマチュアのミュージカルに出演して、10歳から児童劇団に入りました。その途端、苦手分野がわかって。
苦手分野?
ミュージカル『アニー』のオーディションを受けていたんですけど、絶対ダンスで落ちるんですよ(笑)。私、緊張しいなので、オーディションの前に熱が出たりして。もう踊れない~って。
今の平野さんのパフォーマンスからは想像できないですね。どんなタイプのお子さんでしたか?
大人しかったです。今と変わらず読書が好きで、学校でもひとりで本を読んでいて、あまりしゃべらないタイプでした。児童劇団では、次第に声優業やアイドル活動が忙しくなっていきました。
学生の頃、宝塚がお好きだったとか?
そうなんです。小さい頃から観てはいたんですが、高校生のときに友達の影響もあってかなりハマって。和央(ようか)さんと花總(まり)さんの頃の宙組ファンで、ずっと追っかけてました。水(夏希)さんも大好きでした。
だから、ミュージカル『レディ・ベス』で初めて花總まりさんとご一緒したときは、真っ先に「お花さまがいる!」って。こっそりファンでいるのは気持ち悪いかなと思って(笑)、ものすごく緊張したんですけど、ご本人に「高校時代、ずっと追いかけてました。花さんのポストカードとかクリアファイルとか、いっぱい持ってます!」とご挨拶させていただきました。花さんは、快く「ありがとう」と言ってくださって。
『レ・ミゼラブル』挑戦は、育三郎さんの言葉がきっかけ
本格的なミュージカル初出演は、2011年の『嵐が丘』でした。声優として活躍するなか、新たなフィールドに挑戦されました。
タイミングが合えば舞台をやりたいとずっと思っていたので、ありがたいお話でした。しかも、もともと原作が好きだったんです。だから『嵐が丘』をやらせていただけるのは女優のキャリアとしても素晴らしいことだなと、挑戦させていただきました。
10歳から児童劇団で仕事を始めて、20代半ばでようやく夢が叶った感じですね。
夢が叶ったといえば、2013年と2015年にはエポニーヌ役で『レ・ミゼラブル』に出演。
じつは、『嵐が丘』で共演したとき、(山崎)育三郎さんから「綾ちゃん、エポニーヌやりなよ」って言われたんです。
そりゃ、エポニーヌに憧れる気持ちはすごくあるけど…私なんかが…って尻込みしていたら、「綾ちゃんはきっと、今後ミュージカルの世界でどんどん出ていく人だから、今のうちに(『レ・ミゼラブル』の)オーディションを受けたほうがいいよ」と言ってくださって。
育三郎さん、いろんな人にきっかけをくれるらしいんです(笑)。加藤和樹さんも、育三郎さんから「もっとミュージカルやりなよ」って言ってもらったとか。
『レ・ミゼラブル』のオーディションはいかがでしたか?じつは、いざ応募するとき、事務所からはコゼットで受けるようにすすめられて。それまで活発な役が多かったので意外でしたが、なんとか次のチャンスにつなげようと強い気持ちでオーディションに行ったんです。
歌い出しだら、ロンドンの演出家の方が、「ねぇ君、どうしてコゼットで受けたの?」と。それでエポニーヌがやりたいと正直に伝えたら、「じゃあ、『オン・マイ・オウン』歌える?」って。それで見事に合格!まさか1回目のオーディションで、って本当にびっくりしました。正直、私なんかが『レ・ミゼラブル』のオーディションを受けていいのかなっていう気持ちもずっとあって…。それほどミュージカルが好きで、リスペクトしているんですね。私が加わることで、大好きなこの世界を崩しちゃったら嫌だなとか、まだ私はそこまで達していない、っていう気持ちがあったから。だから、育三郎さんに言っていただいて、ホントによかったなって思います。
https://t.cn/AiTyRJXt
今年6月の『ランティス祭り2019』では、キョン役の杉田智和さん、古泉一樹役の小野大輔さんも加わって、SOS団5人で復活を遂げました。
杉田さんや小野さんも含めて、『ハルヒ』の絆ってすごく強くて。大変な時期をみんなで乗り越えた仲間という感覚があるので、ホントに大事なメンバーです。
私だけじゃないと思うんですけど、『ハルヒ』をきっかけに、みんなの人生が変わっちゃった感があって。
ハルヒを演じていたとき、18歳くらいですよね?
はい。作品が大きくなってひとり歩きし始めて、私たちは大きな波に飲まれてどこに行くかわからないまま、一気にいろんなことが押し寄せてきて。
今でこそ声優さんがいろいろな分野で活躍していますけど、当時は、まさか武道館デビューするとは想像もしていませんでした。海外のフェスで『ハレ晴レユカイ』を披露することになったり、『涼宮ハルヒの激奏』(大宮ソニックシティでのライブイベント)では「フルライブをやるから」と言われて、「え? それは、ぜんぶ歌ってぜんぶ踊るんですか?」って聞いたり。
今振り返ってみても、忙しすぎて限界ギリギリのなか、なんとか必死に乗り越えたという感じでした。
『ハルヒ』のメンバーと再会すると、「当時は大変だったよね」って盛り上がります(笑)。「こんなことあったよね?」「あった、あった!」って。
今はようやく落ち着いて…?
そうですね。あの頃はとにかく時間が足りなくて、それが悔しくて。あの時期にしか出せないよさがあったでしょうし、命をかけてやっていましたけど、「今持っているものをぜんぶ出し切るしかない」って乗り切ってきちゃったので。
今は、余裕を持ってひとつひとつお仕事に取り組むことができています。じっくり考えて、理解して、納得して。自分にはこういうやり方が合っていたんだなと思いますね。
幼少期に初めて抱いた夢は「ミュージカルスターになりたい」
ここからは、平野さんとミュージカルについてうかがいます。小さな頃からミュージカルがお好きだったんですよね?
子どもの頃、父の仕事の関係でニューヨークに住んでいて、ブロードウェイ・ミュージカルがきっかけでした。初めて抱いた夢が「ミュージカルスターになりたい」。絵日記とかにも描いてたんですよ。でもその絵は、ブロードウェイというよりは宝塚みたいなメイクだったんですけど(笑)。ショーアップされた華やかな世界に憧れていましたね。
8歳頃からアマチュアのミュージカルに出演して、10歳から児童劇団に入りました。その途端、苦手分野がわかって。
苦手分野?
ミュージカル『アニー』のオーディションを受けていたんですけど、絶対ダンスで落ちるんですよ(笑)。私、緊張しいなので、オーディションの前に熱が出たりして。もう踊れない~って。
今の平野さんのパフォーマンスからは想像できないですね。どんなタイプのお子さんでしたか?
大人しかったです。今と変わらず読書が好きで、学校でもひとりで本を読んでいて、あまりしゃべらないタイプでした。児童劇団では、次第に声優業やアイドル活動が忙しくなっていきました。
学生の頃、宝塚がお好きだったとか?
そうなんです。小さい頃から観てはいたんですが、高校生のときに友達の影響もあってかなりハマって。和央(ようか)さんと花總(まり)さんの頃の宙組ファンで、ずっと追っかけてました。水(夏希)さんも大好きでした。
だから、ミュージカル『レディ・ベス』で初めて花總まりさんとご一緒したときは、真っ先に「お花さまがいる!」って。こっそりファンでいるのは気持ち悪いかなと思って(笑)、ものすごく緊張したんですけど、ご本人に「高校時代、ずっと追いかけてました。花さんのポストカードとかクリアファイルとか、いっぱい持ってます!」とご挨拶させていただきました。花さんは、快く「ありがとう」と言ってくださって。
『レ・ミゼラブル』挑戦は、育三郎さんの言葉がきっかけ
本格的なミュージカル初出演は、2011年の『嵐が丘』でした。声優として活躍するなか、新たなフィールドに挑戦されました。
タイミングが合えば舞台をやりたいとずっと思っていたので、ありがたいお話でした。しかも、もともと原作が好きだったんです。だから『嵐が丘』をやらせていただけるのは女優のキャリアとしても素晴らしいことだなと、挑戦させていただきました。
10歳から児童劇団で仕事を始めて、20代半ばでようやく夢が叶った感じですね。
夢が叶ったといえば、2013年と2015年にはエポニーヌ役で『レ・ミゼラブル』に出演。
じつは、『嵐が丘』で共演したとき、(山崎)育三郎さんから「綾ちゃん、エポニーヌやりなよ」って言われたんです。
そりゃ、エポニーヌに憧れる気持ちはすごくあるけど…私なんかが…って尻込みしていたら、「綾ちゃんはきっと、今後ミュージカルの世界でどんどん出ていく人だから、今のうちに(『レ・ミゼラブル』の)オーディションを受けたほうがいいよ」と言ってくださって。
育三郎さん、いろんな人にきっかけをくれるらしいんです(笑)。加藤和樹さんも、育三郎さんから「もっとミュージカルやりなよ」って言ってもらったとか。
『レ・ミゼラブル』のオーディションはいかがでしたか?じつは、いざ応募するとき、事務所からはコゼットで受けるようにすすめられて。それまで活発な役が多かったので意外でしたが、なんとか次のチャンスにつなげようと強い気持ちでオーディションに行ったんです。
歌い出しだら、ロンドンの演出家の方が、「ねぇ君、どうしてコゼットで受けたの?」と。それでエポニーヌがやりたいと正直に伝えたら、「じゃあ、『オン・マイ・オウン』歌える?」って。それで見事に合格!まさか1回目のオーディションで、って本当にびっくりしました。正直、私なんかが『レ・ミゼラブル』のオーディションを受けていいのかなっていう気持ちもずっとあって…。それほどミュージカルが好きで、リスペクトしているんですね。私が加わることで、大好きなこの世界を崩しちゃったら嫌だなとか、まだ私はそこまで達していない、っていう気持ちがあったから。だから、育三郎さんに言っていただいて、ホントによかったなって思います。
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